氷川神社。

氷川神社1


大宮の名高い「武蔵一宮氷川神社」ではなく、東京や埼玉あたりに200社ぐらいあるといわれる氷川神社の一つ、わが東大宮のそれだ。

信仰心はゼロに近いが、遺跡としての神社に興味がある。遺跡の中でも神社は、地域と密接な歴史にふれる手掛かりになる。

ま、土地の歴史は長老などに話しを聞くのがよいに違いない。あるいは図書館などで郷土史をひもとけばよいのだろう。だけど、引っ越して来て10年足らずで長老と親しくする機会もなく、その機会を積極的につくる気もない。ウチから図書館まで行くのはメンドウだ。ようするにそれほど切実な欲求でもないのが実情で、お散歩しながら興味がおもむくままに手掛かりを求め、フムフムと納得を積み重ねるのも楽しい。

東大宮7丁目にある氷川神社は、現在の地図では東大宮7丁目だが、いま手元にある1995年発行の埼玉県の地図では、そこは砂町(すなちょう)一丁目になっている。

この氷川神社には「村社」と刻んだ石柱がある。そして、参道入口の「氷川神社 御由緒」を見ると、「当社は明治六年四月に村社に列し」とある。その村は「砂村」であり、「明治二十二年に今羽村・西本郷村・土呂村・大和田村・堀崎村・島村・砂村の七か村が合併し、新たに大砂土村が設置されるとこの村の惣鎮守となった」のだ。ようするに、現在の東大宮から土呂や大和田一帯の守り神、という立場だったのだな。

ここにあがった地名のうち、新しい地図で見て発見できたかぎりでは、土呂、大和田、堀崎、島、砂は町名に残っているが、ほかは町名にはないようだ。しかし、「大砂土」については、中学校と小学校の名前に残っている、というのも散歩で見つけた。

「大砂土」は、大和田の「大」、「砂」、土呂の「土」の合成だろうということは容易に想像できる。

1964年に東大宮駅が開業して、「東大宮」という地名が、土地の歴史とはなんの因縁もなしに誕生し広がったわけだが、このことに限らず、地名の変遷の背後にあるものを想像してみると、なかなか面白い。

それはともかく、この氷川神社の「御祭神」は、「素盞嗚尊(スサノオノミコト)」であり、「御神徳」には、「武運長久、厄除け、商売繁盛」とある。現在ここで「武運長久を願う人はどんな人か想像してみた。

比較的新しい住宅に囲われ飲みこまれた感じの境内には、傷みの激しい神楽殿があり、かつての深い信心が偲ばれる一方、神社の敷地の表側と裏側の一角を整地して「氏子専用駐車場」なるものができている。なかなか興味深い風景であり、祭りを見てみたいと思った。

しかし、氏子専用駐車場に侵されているとはいえ、こういう神社がなかったら、住宅街の中のわずかな緑地も残らなかったのかも知れないのだから、人間の所業は棚に上げ、神様には大いに感謝すべきなのかも知れない。

氷川神社2

氷川神社3

東大宮駅東口の道路が延びる。

東大宮東道路1

東大宮駅東口広場から真っすぐ延びている道路だが、ここに越して来たころ、どこまで続いているのだろうと歩いて行ったら、1キロも歩いたか歩かないうちに、とつぜん植木畑のような荒れ地のようなところにぶちあたり、急に細くなって曲がっていた。少し裏切られた気分で引き返したのだった。

その道路の延長工事が始まり、なんだかヨークマートが入るショッピングセンターもできる、という話を少し前に酒場のタイショーに聞いて、行った見た。

すでに植木畑のような荒れ地のようなところは姿を消し、交通止めの向こうには新品の道路が延びていた。先には工事中の大きなビルも見える。

新しい道路の両側は、ほとんど空き地であり、駅から直線で近いのだから、そのうち建物で埋まるだろう。とか、たいして感慨も感想もなく眺めた。

酒場のタイショーの話によると、この工事で東大宮あたりの経済は活気づいているらしい。とくに商売をしている方は、期待が大きいにちがいない。期待ばかりではなく、ショッピングセンターの出現は、いろいろな影響があるから、不安を持つひともいるだろう。

ともあれ、東大宮は凡庸な住宅地であるから、これはチョイとしたジケンにはちがいない。

はて、これから東大宮はどうなるのだろう。駅東口周辺では、県住宅供給公社のアパートの再開発や、移転した東大宮病院の跡地に新興宗教団体の建物が建つらしい(すでに整地された跡地には新興宗教団体の看板が立っている)など、しばらく変化が続くようだ。

そうそう、この新しいショッピングセンターの名称は、「ハレノテラス」だそうだ。
http://hare-terra.com/

東大宮らしい凡庸な名称といえるか。凡庸は好ましい、平穏平和の証しだ。

東大宮東道路2







空地と思ったのは神社だった。

001-001_2015112615194066f.jpg

前から気になっていた空地があった。住居跡のようでもないし、雑草が生えているどころか、関東ローム層独特の赤土が露出し、降雨のためだろう、やや低い方へ向かって流れている。

先日たまたま古い土地の方と一緒になり、尋ねたら、「神社の土地」であると。

言われたとおり、よく見ると、奥の隅に「稲荷大神」と彫られた、石の板碑のようなものが立っていた。

お稲荷さんといえば、穀物や農業の神様だ。このあたりはかつては広大な農地だったようだから、こういう神社があっても不思議はない。

いったい、この地に、どんな信仰があったのか。

それにしても、時勢が変わったとはいえ、ミゴトな捨てられっぷりだ。

それに、どうしてこんなに赤土が露出してしまったのだろう。普通は放っておけば、手がつけられないほど雑草が生えるはずだ。草取り管理をしている人がいるのだろうか。雑草が生えていた方が、赤土が流れないでよいようにも思う。

一番よいのは、どこかに合祀してあげることか。

なんだか気になっている。

002-001.jpg