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なくなった東大宮一番街。

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宇都宮線東大宮駅上りホームの最後尾あたりに立つと、正面に東大宮一番街が見えた。

たしか埼玉県住宅供給公社のアパートが、道路をはさんで2棟建っていたのだが、東大宮開拓時代や郊外団地開拓時代を思わせる、古いたたずまいだった。

1階は店舗が入り3階から上は5階まで居住用だった。

一番街の看板の文字が、太く力強く、80年代以後の軽薄短小化時代からは衰退の傾向にあった、ようするに「昭和の文字」の感じだった。だけど、これはこれでよい完成度だったように思えた。

上の写真は、2009年2月の撮影。このころは、立ち退きの話はあったが、まだ普通に営業していたのではなかったかな。

つぎの写真は、同じ年の6月だが、すでに右側の1棟は取り壊され駐車場になり、一番街の広告看板だけが残っていた。看板を見ると、一番街は、このアパートの店舗だけではなく、SEIYUがあるところまでだったようだ。

右側の一棟が解体されても、左側のもう一棟は、そのまま残っていて、営業を続けている店も多かった。

看板右上にある「じゅん」は、右側の棟の端にあったが、早々に現在の東口ロータリーのところへ移転した。「じゅん」も単純な店名だが、「きらく」や「ひまつぶし」「わいわい」など、そのままズバリの気取っていない店名が並ぶ。東大宮は、そういう街のような気がする。

20090611.jpg

最後まで残っていたのは、左側の棟の1階にあった、中華の「大島飯店」だったと記憶する。居住者も店舗も、みないなくなっても、tたった一軒で暖簾を出している様子が、駅のホームから見えた。

その残っていた1棟の解体が始まったのは、いつだったか。下の写真は、きょねんの11月20日の撮影だが、解体工事中で建物の姿はなくなっている。このあと更地になって、そこにあった生活の痕跡は、きれいに消えた。そのうち、その記憶も、なくなるだろう。

上の写真の看板も取り払われ、すっかり見通しがよくなった先に、建て替え工事をしていた「SEIYU」の完成した姿が見える。リニューアルした「SEIYU」は、この20日すぎに営業を始めた。

20181120.jpg
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東大宮駅東口の葡萄家がなくなっていた。

budouya


写真は、2010年4月の撮影。

左側に、大宮駅東口のロータリーから大和田方面へ向かう道路の角のビルが写っている。

この2階にあった「葡萄家」がなくなっていたのに気がついたのは、今年になってからだ。

いつなくなったのだろう。

看板の文字からしてレトロな感じで、いつか入って、ハンバーグと生ビールでも飲んでみるかと思っていたのに、入らずじまいになった。

写真を見て気がついたのだが、このビルの1階の「クスリのアサイ」は、いまでは牛丼チェーンの「すき家」になっている。

いつ入れ替わったのかも記憶にない。引っ越してきた10年前には、すでに「すき家」があったつもりになっていた。

この10年間、東大宮駅の東口も西口も、店舗の入れ替わりが激しかった。

前には何があったかも思い出せないことがめずらしくない。

写真にある看板の「さじや」は、そのままだが、1階は「ドトール」になった。

ロータリーに面したビルの1階は、10年のあいだに、ほとんど入れ替わったのではないかな。

はて、これからは、どうなるのだろう。

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2019年元旦、初詣。

元旦の昼過ぎに初詣に行きました。
前にも書いたように、信仰心はないのですが、神社に古(いにしえ)を訪ねるのは好きです。

有名なにぎやかな神社は避けて、古と語り合える静かなところ、できたら疲れないていどに歩いて散歩に丁度よいところ、ということで地図で調べたら、土呂中のそばの見沼代用水西縁に沿って下ると神明社があるのがわかりました。ここはまだ行ったことがありません。

地図では境内がグリーンに塗られ公園に隣接しているので木が茂っているようです、それにそばの道路には神明橋通りの名があるぐらいだから土地では由緒ある神社にちがいないと判断し、行ってみることにしました。

宇都宮線に沿った道路を土呂のほうへ向かい、土呂中をすぎたところで見沼用代水西縁と出合う、そこで西縁に沿って左岸にある「見沼緑道」という名の遊歩道を選びます。

その入り口のベンチで、一人の中年の男性が休んでいました。

「こんにちは、いい天気ですねえ」と声をかけられたので、「新年早々いい天気で何よりです」と応えると、「大宮から歩いて来ました、汗をかきましたよ」。

男性は、ゆだったような顔をしていました。着こんで出かけたこちらも暑いぐらいでした。

緑道には、ところどころ休憩所のようなものがあります。土呂中の一部も入れて写真に収めました。空を仰ぐと、モクレンのつぼみが、ふくらみかけていました。いい日和です。

土呂神明社01

土呂神明社02

神明橋通りを渡ったところで、右岸の緑道を選びます。すぐ先に、こんもりと林が見えます。そこが神明社だろうと見当をつけて歩きますと、やはりそうでした。

「おお、すごい」

思わず声が出たほど、天高く、というかんじで、樟が枝を広げ伸びています。これを見ただけでも、来た甲斐がありました。

土呂神明社03

土呂神明社04

誰もいません。

天は木々が覆っている静かな境内です。

狛犬の奥に、拝殿があり、その奥に本殿があります。いずれも「渋さ」をかんじさせる簡素な建物です。

連れが手水がない、と言います。そんなものは無くてもいいのです。

土呂神明社05

由緒書きを見ます。

住所は、さいたま市北区土呂町(とろちょう)二-八三

「当社は大宮台地の東端に鎮座している。境内東側は低地で、江戸中期まで見沼が広がっていた。地名の「土呂」は「瀞」と同じく静かに水をたたえる場所を示す語であることから、見沼に由来している」

なるほど「土呂」の由緒を初めて知った。

神明社といえば、祭神は、天照大御神。

拝殿の横に回って、本殿の眺めると、伊勢神宮を模した造りになっていました。その上を木々が枝をはり、古をかんじさせます。

土呂神明社06

前のエントリーの中山神社もそうですが、見沼周辺の台地の端にある神社は、もともと土地の住民による見沼信仰のようなものがあり、あとから「進出」してきた神様と混ざり合いながら、自然を基盤にした生産を生業とする土地の暮らしと共に発展してきたのでしょう。

高度経済成長以後とくに1980年代からこちら、その暮らしは、すっかり変わり、見沼周辺の様子も一変したはずです。

しかし、新たな神様の創出も進出もなく、人びとは願い事を神様に頼るのではなく、「情報」に頼るようになった。と、考えたとき、もともと「神様」とは「情報」だったのではないかということに思い至るのでした。

神様のいる神社に人々が集まり情報が集まり暮らしが成り立ってきた。

いま、神様はパソコンやスマホの中に鎮座しているのでしょうか。

そういえば、枝を張ってたくさんの葉をつけた樟の大木は、巨大な情報システムに見えなくもありません。

そんなことをふわふわ考えなが神明社の境内を出ました。何組かの家族やグループが参詣に来てました。

神明社が建つ大宮台地の東端と見沼の低地との境を流れる見沼代用水西縁を一緒に撮影し、さらに西縁に沿って市民の森公園の見沼グリーンセンターのところまで歩き、土呂駅に出て電車で東大宮に帰ったのでした。

土呂神明社07

土呂神明社08
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