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薫風のなか市民の森へ その3

昨日の続き。二人は、市民の森からの帰り道、見沼たんぼのなかの芝川沿いを歩いた。

タマネギ畑があった。スーパーにも、新タマネギが並んでいるが、最初は九州方面から始まり、いまでは関東のものが多くなっている。この新タマネギも、まもなく収穫されるだろう。見るからに、うまそうだ。

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貸し農園になっている畑も多い。細かく仕切られ、それぞれが勝手なものを植えている。そして、それぞれが道具や肥料などを入れておく、小さな倉庫ともいえない、ありあわせの板などで囲ったものをコーナーに作ってある。畝が揃っている大きな畑と違い、雑然とした景色、まさにとりとめのない光景だ。一角で、初老と見える男女がクワを持って立ち話しをしていた。

芝川沿いの道は簡単に舗装してあるが、ほかにもタテヨコに舗装のない道がある。そこを歩いたほうが、畑のなかを歩いている気分になるから、そちらを選ぶ。初めて歩く道だった。

すると、「東大宮自治会 第2農園」の看板があった。貸し農園とわかるが、自治会が借り上げて、貸しているのだろうか。

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近年は「農業ブーム」といわれるが、就農する人は別として、たいがいは趣味として土仕事や手仕事を楽しむブームでもあるようだ。こちらは「農業」というより、「趣味の園芸」と言ったほうがよいかも知れない。趣味と生活では、同じ土地をいじり耕し、同じものを植えても、まったく違う。

男は、以前、畑を借りて、耕作をしたことがある。園芸会社の仕事で、種をベランダ園芸用に普及する仕事をしているうちに、自分でやりたくなり、畑に手を出した。貸し農園の小さな区画ではなく、大きな畑だった。そこまで行くのも面倒だったが、耕運機ではなく、クワで耕すのだから大変だった。それに、こまめに、見てやり、手を入れる必要がある。借りたうちの半分も使わないで終わった。それでも、小松菜、さやえんどう、大根、茄子、じゃがいも、そういったものを、のべ2シーズンぐらいはやったか。

近頃は、植えたあと収穫までのあいだは、貸し農園の持ち主や近所の農家の方が面倒を見てくれるシステムもあるようだ。こうなるともう、贅沢な趣味と言うしかない。なにしろ小さいながらも、使用人に管理させて、おいしいところだけを楽しむ「農園主」になってしまうのだから。

畑仕事は根気がいる、そのほんどは、育つ過程の観察と手入れだ。その根気をやってこそ畑仕事をしたことになる、と男は以前をふりかえった。

「東大宮自治会 第2農園」は、そんな贅沢はしてないようだった。何区画あるのだろう、全部は借り手がついていないように見えた。東大宮自治会は広い地域だ、ここに近いところ以外は、クルマでないと面倒なことだろう。

さらに脇の道を選ぶと、電柱があった。パイプの先に蛍光灯をつけただけの簡単なものだ。夜の景色を見たことはないが、この通りだけ灯かりがつくのだろうか。なんだか、よい風景だ。向こうに土呂中が見える。

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これは、なんだ、童話のような遊び。木にテラスを設え、上の段には、くたびれた布でハンモックのつもりだろう。面白い人がいるなあ。楽しんでますねえ。

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つまみとクーラーにビール入れて持ってきて、この上で一日すごすなんて、いいにちがいない。畑仕事など、ほっぽりだして。蚊取り線香もいるな。「仙人畑」の小さな看板が打ち付けてあった。仙人への憧れか、いいねえ。

女がしゃがんで、オオイヌフグリを根から抜いた。持ち帰って鉢に植えるつもりらしいが、野生の小さい花は無理だろう。

クルマが一台入ってきて、畑のそばで止まった。

麦畑があった。何の麦かわからない。小麦でないことは確かだ。背が高いから大麦だろうか。

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「東大宮自治会 第2農園」があったのだから「第1農園」もあるだろうと思っていたら、あった。住宅街に一番近い道路わき、ここなら近い人も多いだろう。全部埋まっているようだった。

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東大宮の駅が出来たのは、1960年代の終わりごろのことだ。現在の東大宮地域は、圧倒的に農地が広がっていた。

男は、自治会の班長をしたり公園掃除や防犯パトロールに参加したりして、自治会の役員には古くからの農家の人がいることを知っている。貸し農園もそうだろうが、新旧住民がまじわるのは、よいことだ。近くの農業も、できるだけ続いてほしい。本当は、とれたての野菜を欲しいときに簡単に手に入れられるとよいのだがと思う。

芝川にかかる砂橋がある、宇都宮線沿いの道路にもどった。

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女がドイトへ行きたいというので、第二産業道路沿いのドイトへ向かった。園芸用の土を買うのだと言うが、彼女は、休日に、ドイトをぶらぶらするのが趣味なのだ。男も、嫌いじゃない。ドイトは、近所の最高のレジャー施設だ。

男は、一年ほど前に、NHKラジオの朝の「すっぴん」にレギュラー出演していたことがある。生出演だ。そのとき、いつもドイトで買った作業着を来て、渋谷のスタジオへ行った。あるとき、オンエア時間外に、その作業着が話題になった。男は「ドイトで買った」と言った。藤井彩子アナウンサーもパーソナリティのダイヤモンド・ユカイさんも、とうぜん、ドイトを知っているものと思ったからだ。なにしろ男が若いころは、ドイトは、当時流行のドウ・イット・ユアセルフ店の走りで、有名だったのだ。ところが、二人とも、「なに、それ」「えっ、ホームセンター?」という調子だった。ドイトを知らないなんて、とんでもないと男は思った。そうそう、ダイヤモンド・ユカイさんは、東大宮の大砂土中の卒業で、しかも男の家の近くに実家があるのだった。彼が中学生のころは、まだドイトはなかったのだろう。

これにて、とりとめのない歩行「薫風のなか市民の森へ」全3回終わり。
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薫風のなか市民の森へ その2 市民の森

昨日の続き。

少しおさらいをすると、見沼田んぼの真ん中を流れる芝川沿いに、土呂中の横の桜並木を南へ歩き、JAさいたま緑花木センターの横を通り、出たところは「神明橋通り」という。

神明橋通りは東西に走り、北側がJAさいたま緑花木センターで南側が市民の森になる。実際に、神明橋通りと市民の森の境は、白い柵と高い木で分けられ、柵には市民の森入口の表示もある。

こちらの入口は北側にあたり「裏門」、正面の「中央口」は南側にあって、JR宇都宮線土呂駅から、500m弱と近い。

ところで、地図を見ると、この北側は、市民の森に含まれない。その入口から入ると、整備された真っ直ぐの道があって、両側に畑がある。これは、地図によれば、「体験農場」だったり「市民農園」だったりする。シーズンには、たくさんの花をつけるバラの木の畑もある。普通に歩いていたら、柵と高い木に囲まれたなかだから、どう見ても市民の森だと思うだろう。

女と男も、何度目かのことだけど、市民の森を疑いもせず、真っ直ぐの道を歩いた。「今年のバラは、イマイチだなあ、だいたい木に元気がないね」男が言う。女はふにゃむにゃ言う。

畑の先には、芝生の広場がある。その先が一段と高くなって、途中に人工の噴水池がある階段だ。水はない。地図によれば、そこからが市民の森になる。

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そんなことは知らない二人は、ぶらぶら歩く。平日ということもあるが、人の姿がない。二人の前を行く老夫婦だけ。

噴水の階段を上がったところは、また広い円形の芝生になっている。周囲は桜の木だ。花が咲くころは、毎日昼間から人で一杯になるが、ここもパラッとしか人がいない。どこかの女が一人、ヨガのようなことをしていた。

男が「歩いたことがない方を歩こう」と西へ行く。温室のような建物があった。なかが透けて見える。そばには、何か作業用らしいものが、いろいろ置いてある。苗木などを育てる管理用の建物だろうか。一般人は入ってよいのかどうかわからないが、扉が開いていたから、入った。

なにやら、生育中と思われる植物が、雑然とあって、どう見ても展示しているとは思えない。奥へ歩くと、何人かが作業していたかお茶をのんでいたかのような痕跡があった。

ところが、そこを抜けて、隣の部屋に入ると、様子が変わった。南洋風の植物が、それなりに配置されていた。温室特有の、少し湿り気のある熱気が、口をふさぐ。ブーゲンビリアが咲いている。男には、それしかわからなかった。でも、それなりに南洋の雰囲気になっている。間違いなく、温室の展示場だ。

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つぎの部屋に入った二人は、「おっ」とか「わっ」とか、声をあげた。想像していなかった光景だった。サボテンだ。もともと何も期待せずに歩いていたのだから、思わぬ光景に興奮した。

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「いいじゃない」と女。男は、伊豆のサボテン公園ほど大きいのはないし、広くはないが、むしろこれぐらいのほうが、うんざりすることもないし、なんだか親しみが湧いてよいなと思った。二人は、そこを行ったりきたりしながら、写真を撮った。

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脇の通路から入ったものらしい。ちゃんと玄関があった。机の上に、入場者数を調べているので、見学者は書き込んでほしいといった趣旨の用紙があった。二人は、入場者が少ないと閉鎖されちゃうかも知れない、それは困る、ここへ来るのが楽しみになったから、無くなっては困ると言いながら、記入した。市内の者か市外からかと、人数を書くだけだから簡単だった。

だけど、外に出て、建物を見渡しても、ここが温室の展示場であることを示す看板も何もなかった。

とにかく、二人は、これで今日はいい遊びができたと、得した気分で、帰路についた。

円形の芝生を突っ切って、階段をおりようとして、リスの小屋に気がついた。前に入ったことがある、網に覆われたなかで、リスを放し飼いにしているのだ。女が説明を見て、「300匹いるんだって」。「そんなにいたかなあ、でも、もうリスは見なくてもよいな」男は、サッカーの大宮アルディージャのマスコットのリスと、ここのリスは関係あるのだろうかと考えながら、リスの像を写真に撮った。

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帰りは、また神明橋通りに出て、右へ。芝川に架かる橋を渡ってすぐ、芝川沿いの道に入った。何度も通った道だ。左側は芝川が流れる荒地で、その向こうに土呂中のおとぎの国の建物のような校舎が見える、右側は耕作されている畑と耕作されてない畑が広がる。

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ちゃんと耕して栽培中の畑があった。背後には東大宮の住宅街。そちらは少し高くなっているから、この畑のある見沼田んぼの昔は、芝川の河川敷だったのだろう。それで砂が多かったから「砂」の地名がついたのだろう。土呂中も緑花木センターも市民の森も、河川敷だったのかも知れない。

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男が、そんな風に昔を偲び思索しながら、畑と住宅街の風景を写真に撮っていると、女が言った。「こっちも撮ってよ、わたしは、この茫漠とした荒れた感じが好き」。女は反対側を指差していた。女のココロは、これか。開発か荒野か、男は女が言った方向にカメラを向けた。

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見沼たんぼは、歴史と地形、いろいろ変化に富んだ風景が見られるところだ。この日は、これから「仙人畑」など、ほかにも発見があった。それはまた次回に。

薫風のなか市民の森へ その1

 あたたかい冬の終わりのあと寒い春が続いて、トツゼン夏のような陽ざしが照りつけた。
 「最近は春と秋がない」と女が言った。
 男は、「そういえば、そうかな」と言った。
 陽ざしは夏のようだけど、ひんやりした風が吹いて、青葉の香りを運んでいた。「薫風」という言葉がピッタリな感じだが、辞書によれば、「南風」「温和な風」「かんばしい風」といった意味があるようだから、この日の、ややひんやりした風は、薫風ど真ん中ではないかも知れない。しかし、「かんばしい風」ではあった。
 ひんやりした風に、強い陽ざしで、肌はどう反応したらよいのか戸惑う、複雑な気象だった。
 半袖で、じっとしていると長袖をはおりたくなるが、動くとそれが邪魔になる。

 女が散歩に行こうと言うので、そうすることになった。
 どこへ行こうか。
 「見沼代用水に沿って蓮田方面か、見沼たんぼと市民の森か、それとも」と言って、男は黙った。駅の東側の氷川神社あたり、一人で一度歩いているが、通りすがりだったから、また行ってみたい。そのことを言おうと思ったが、あのあたりは住宅街だから、いま女が行きたがっている散歩と違うような気がして、黙った。
 女は、いつものように、はっきりとした意志を口にしないで、なんとなく蓮田まで歩く気はしない口ぶりと態度を漂わせた。

 どこへ行くか決まらないうちに玄関を出てから、決めなくては進めないのであり、とくに目的があるわけではないが、ふにゃふにゃしたとりとめのない会話の結果、見沼田んぼを通って、市民の森へ行くことになった。
 東大宮は、見沼田んぼの北限域になる。その一部、宇都宮線の西北側の大部分は、栄東中高や、JRの操車場などに姿を変えている。
 二人は、家から、その真ん中を流れる芝川の下流域に向かい、宇都宮線の踏み切りを東側へ渡り、線路沿いに南へ向かった。
 つまり登呂へ向かうと、建物はないし、田んぼはないが、畑と一部雑草の生える不耕作地と化した見沼田んぼが広がる。

 二人とも、見沼たんぼのなかと市民の森は何度か歩いている。今回は、男の意志により、これまで舗装の一般道だから敬遠していた、見沼たんぼの南側の道を行くことにした。
 芝川にかかる小さな橋を渡る。「渡る」という実感のない小さな橋だが、たしか「砂橋」という名前がついている。詳しくは知らないが、地名が「東大宮」に変わる前、このあたりは「砂」あるいは「砂村」だったはずだ。となると、たぶん、このどうってことない小さな橋の歴史は、かなり古いのかも知れない。

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 芝川の両岸は、シーズンになると菜の花で埋まるのだが、その残骸が残っていた。
 それでも、女がうれしそうに、「菜の花、菜の花」と言った。花には割と反応が早い。
 東大宮も、とくに特徴のある町ではないが、このあたりの景色もそうだ。田んぼでもない、緑地でもない、畑でもない、何か一つの目的に絞られていない、とりとめのなさが、魅力といえば魅力なのだ。
 ヌーボーとした景色とでもいうか、見ているほうもヌーボーとなる。
 まさに、とりとめない景色を見ながら、とりとめのない歩行だ。
 ヌーボーと歩く。
 鋭い観察など、必要なし。もとからゆるい脳みそが、さらにゆるむ歩行。

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 見沼たんぼの南端で、左にまがる。右側は、桜並木が、さいたま市立登呂中学校の広い敷地に沿ってある。広いグラウンド、校舎は、ところどころに緑の屋根を配した、そこはかとなくバブル時代を感じさせるデザイン。調べると、平成8年(1996)の開校だから、まだバブリーな気分が残っていた時代だ。
 とはいえ、これぐらいはバブリーというより、普通であるべきかも知れない。
 なにしろ、公立の小学校や中学校といったら、デザインといえるほどのものはない、ただの箱といった感じで、子どもたちが可愛そうなぐらい、ちっとも「愛」や「夢」などない。校舎を囲む、網の塀なども工事現場と同じようなものであることが多い。それでは、まるで家畜飼育場のようなものだ。そこへいくと、土呂中学校はマシだろう。

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 歩きながらの二人の会話も、とりとめのないものだった。「あ~」とか「う~」とかの類である。
 一般道路だが、クルマの通りは、ほとんどない。右側の土呂中の敷地が終わると、隣接するJAさいたま大宮緑花木センターになった。大きな敷地大きな木や小さな木、畑は花や花木なのだろうか。よくわからない。
 とくに美しく整理しようという意志がある景色ではない。やはり、とりとめないのだ。
そこを過ぎると、クルマが多い通りに出る。道路を渡ると、市民の森だ。高い木に囲まれている。
 この市民の森の向かって左側、東端を芝川が流れ、西端を見沼代用水が流れている。
 クルマの通りから入る、芝川の土手に沿って歩行とサイクリングの遊歩道があったはずで、たしかにあったのだが、「自転車および歩行者専用道路」の標識はあっても、とても入れそうにない、藪と化していた。以前は、もっときれいになっていたはずだが。
 二人は、そこでも、「あ~」とか「う~」とか言うだけだった。

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 男が、西端の見沼代用水側を見たことがないというので、二人は通りを、そちらへ向かった。
 左側は、市民の森の高い木が続いている。木の間から、そこにある市民農園が見える。貸し農園らしい。耕運機の使い方のような講習をしていたこともあった。
 西端の見沼代用水に着いて見ると、ただコンクリートに囲まれた用水の中を、タップリの水が勢いよく流れているだけだった。用水だから当然といえば当然だが、男は、もっと別の、情緒ある遊歩道のようなものを期待していた。
 「なんだ。これじゃ、散歩にならないな、市民の森に行こう」と男は言い、二人は、回れ右して、来た歩道をもどった。右側に市民の森の高い木を、左側にJAさいたま大宮緑花木センターのとりとめのない緑を見ながら、市民の森の入口に向かった。

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今日は、ここまで。次回の市民の森へ続く。
最後の画像は、市民の森入口から、緑花木センターの方を見たところ。
今日は、初めて、このブログの申し込みから設定や作成をしたので、くたびれた。
まだ、ほとんど使い方がわかっていない。なんとか続くか?
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