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ランド・アートで突然復活。

当ブログの放置状態は2年以上続いた。

写真は去る11月3日の撮影だが、この日を前後して、こんな風景が何日間か見られた。

場所は、東大宮駅北側の踏切がある通り、西口のスーパーマルエツの入口がある通りだ。

一直線に東西に続く通りに沿って、送電線の鉄塔が立ち並ぶ。鉄塔マニアでなくても、これに沿って歩いてみたくなる。いや、実際に歩いたことがあるのだが。

ランド・アート、あるいは梱包アートと呼んでもよさそうな風景。どうやら鉄塔のメンテナンスのためだったらしい。いったいどんなメンテナンスをしたのか知らないが、いろいろイメージが膨らむ、楽しい風景だった。

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カラスの勝手の風景。

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先日、砂の万灯祭りへ行く途中で撮影した。

セイムス東大宮西口店の前の畑は、けっこう広い。うーん、300坪はないか、いや、ありそう。もしかすると、400坪ぐらい?土地とは縁がないから見当がつかない。

4年前に引っ越してきたころは、全面的に耕され作付けされていた。そのあと、わずかな一角がセイムスの駐車場になり、しだいに作付けの面積は小さくなった。いまでは、作付け面積は1割にも満たない。ほかは、耕されてはいるし、草は生えていないが、作付けはされてない。

このあいだから、ときどき、この畑に、一羽のカラスを見る。カラスも人間と同じように、一羽一羽、顔も姿もちがうらしいが、おれには見分けがつかない。なので、やつが、同じ一羽かどうかは、知らない。

ウチの周辺は、カラスのテリトリー争いが、けっこう激しい。住宅が増えているからだろうか。それに、何か時期あるいは季節が関係しているようだ。詳しく調べたり観察したりする気もないので、知らない。

とにかく、同じやつかどうかは知らないが、やつは、この広い畑で、一羽で、一見のんびりしているように見える。もしかしたらテリトリー争いの仲間にも入れず、孤独の悲哀を噛みしめているのか。畑の孤独は、都会の孤独でもあるようだ。しかし、カラスに、そんなセンチメンタルがあるようには、思えない。

広い空を飛べても、けっきょく、地上に、休める巣とエサを求めなくてはならない。やつは、おれと同じ、この土地の住人なのだ。

この空を飛べたなら、と、鳥になりたいと願うひとのうち、カラスになりたいと思うひとは、どれぐらいいるのだろう。少ないのではないか。

カラスは、都会人のような鳥だと思う。都会や街が似合っている。「銀座のカラス」「渋谷のカラス」そういう風に黒く輝く存在だ。東大宮は、カラスが存在感を示す街になってきつつあるのだろう。やつは、その尖兵なのかも知れない。

街と空と雲と

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いまや、手付かずの自然なんてものは、めったになくて、たいがい人の手が入っている。ところが、空だけは、人の手が届かない。しかし、空気を汚したり、高い建物を建て空を狭くしたりという、干渉はできる。

東大宮は、高い大きな建物がなくて、空が広い。第二産業道路があっても、空気は比較的きれいなほうだろう。夜には、灯かりの影響があっても、2等星ぐらいまでは、なんなく見える。目が慣れれば、もっと見えるはずだ。

空は、どこも同じということはない。空に町の境界はないが、地域的な特徴は、当然ある。それは、地形によって、気象もちがうのだから、雲のでかたがちがって、当然なのだ。

ここに引っ越して4年だが、このあたりは、といっても、東大宮駅周辺なのか、その西側なのか、駅のある高台なのか、見沼田んぼ周辺の低地なのか、明確には判断できないのだが、雷雨のコースからはずれているようだ。雷雨の場合、数百メートルの距離でも、影響が異なることがある。

かなり接近して、さあくるぞと思っていても、そのまま巻き込まれることは少なく、避けるように通りすぎてゆくことが多い。地形も関係するのだろう。とうぜん雲のでかたもちがうはずだが、よく観測したことはない。

とにかく、空と雲は、街の風土や風景の一部であり、それなりに街に特徴をそえていると思う。それを、ただボンヤリ眺めているのが好きだ。

写真は、2010年8月上旬の撮影。JR東大宮操車場の北端の跨線橋、東大宮側は、見沼代用水西縁と、その暗渠の上に親水公園があって、跨線橋を渡ると北区になり、県立大宮工業高校がある。この跨線橋は、クルマは通れないから、のんびりできる。

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世界文化遺産登録の富士山。

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富士山が世界文化遺産ということになった。自然遺産になれなかったのは、ひとえに、地元の富士山への愛情が欠けていて、無残な姿になっていたからだろうか。そして、その文化遺産的価値は、地元以外のところにこそあったのではないか。地元にあっては、富士山は経済であり産業であった。とまではいわないが、富士山の文化的価値を価値たらしめてきたのは、地元以外の人たちの思いを抜きには語れないことを忘れているかのような、地元の欲の皮が突っ張ったバカ騒ぎを見ていると、こんなことを言ってみたくなるわけだ。

文化的な価値となれば、地元以外のところから見る、その遠景こそが、人々のこころに何かを残してきたといえる。江戸はもとより、関東各所の「生活景」として、文化的価値が高く、銭湯の絵や「富士見」という地名をあちこちに残してきた。だから、富士山が世界文化遺産になったということは、富士山の見える暮らしが、文化遺産になったということであり、かりに富士山が自然遺産になれないほど無残な姿になっていても、その遠景は変わらず、それぞれの生活の中に生き続けてきた。

東大宮から見える富士山の生活景も、その一つなのだ。ということを、文化遺産による経済効果ばかりを計算している人たちには、考えがおよばないのだろうなあ。

おれは、一銭も儲からなくても、東大宮からときたま見られる富士山は、この生活景は、まさに文化遺産だと思っている。世界文化遺産に登録されようがされまいが。

1962年に上京してから、生活景としての富士山が見られるところに暮らすのは初めてだと気がついた。おれが上京したころには、すでに都心の大部分の場所からは、その景色はなくなっていた。おれにとっては、ときたま高いビルや郊外を走る電車のなかから見える富士山は幻のように瞬間的なものであり、富士山は「観光景」「行楽景」のなかに存在した。

だけど、そういった東京のコンニチの表層をペッとはがせば、その下には富士山を日常的な生活景として見る、東京だか江戸だか武蔵だかという場所があった。

東京都区内についていえば、ごく最近まで唯一富士山が見える地形として残っていた、西日暮里の富士見坂からの富士山の眺めも、あいだに建つ高層マンションによってさえぎられることになった。これこそ、なんでも経済効果でしか考えられない脳みそによる、文化遺産の破壊だろう。それとおなじ脳みそが、世界文化遺産登録を、文化的な価値ではなく、経済効果でだけ考えるのだ、って、繰り返しシクコク言ってみたりして。

その脳みその裏を返すと、高尚な文芸や美術や音楽や、それらを印刷した本などにしか文化的価値を見ないということになる。かくて、富士山の生活景は失われてきた。

富士山を日常の生活の中の景色として共有していた人びとと、そうではないコンニチの人たちと、たぶん、ほかのものについても「共有」や「共に生きる生活」の感覚がちがうのではないだろうか、それはつまり文化のちがいだろう。と、ここで富士山を見ながら思う。たとえば、いま銭湯につかりながら富士山の絵を見るひとには、共に富士山を見て暮らす場所に生きているという感覚はないだろう。だけど、むかしのひとには、あったにちがいない。

そんなことを考えた、今回の、富士山の世界文化遺産登録騒動だった。


で、冒頭の写真は、東大宮2丁目35−2にあるセイムス東大宮西口店の裏の通りから撮影した。今年の1月28日。ごくたまに、冬以外でも見られることはある。撮影がヘタなので、こんなアンバイだが、肉眼では、もっと鮮明に見えた。

下の写真は、やはり、同じ通りから、09年1月16日の撮影。
さらにその下は、JR東大宮操車場の北端の跨線橋の上から12年1月2日の撮影、おまけに同じ位置から見た操車場の夜景。

ほかにも、富士山が見える場所はあるし、もっとよく見える場所もあるのだが、たまたまデジカメを持っていて撮影できたのは、これだけ。

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気になる送電線と鉄塔のある風景。

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東大宮に引っ越してきて、マニアでもオタクでもないが、気になる風景が二つある。

一つは、実際に「鉄ちゃん」と呼ばれるらしいマニアやオタクの姿を見かける、東大宮操車場だ。操車場でなくても、宇都宮線を走る電車を見ると、なぜかコーフンする。なんてのかな、景色を突っ切って走る姿が、かっこいいのだ。それに、とりわけ貨物が轟音をひびかせて通る景色も、かっこいい。じつに単純だ。いずれも、写真があるので、そのうち掲載することにして、今日は送電線だ。

写真は、宇都宮線の東側の、東大宮駅入口の信号と、芝浦工業大学の信号のあいだにある交差点で、撮影した。東大宮6丁目になる。この送電線と鉄塔は、正面の西に向かって宇都宮線を渡って、また背後はさらに東へ向かって、真っ直ぐのびる道路に沿ってある。

西側から言うと、マミーマートの先の交差点を右折して、宇都宮線の踏み切りを渡ると、この交差点に出る。まだ先まで鉄塔は続いている。

反対にマミマートの先の交差点を左折すると、この直線道路も鉄塔も、まもなく見沼代用水西縁にぶつかり、真っ直ぐな直線状態は終わる。

送電線マニアならたちどころに調べて、もう少し何か書きようがあるだろうが、おれはそこまでの根性はない。ただ、なんでここだけ、こんなに真っ直ぐな道路と送電線ができたのだろうかと気になっている。ときどき、西側の送電線の下にあるパン屋へパンを買いに行くのだが、そのたびに、なんでだろう、と立ち止まってボンヤり眺める。

いつかその疑問が解明されることはあるか。気になるので、似たような写真を2枚も掲載しておく。

送電線も鉄道も「線路」、どこまで続く?のロマンがあるようだ。

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