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「温温(ぬくぬく)」と「かぎろひ」。

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4月、桜は終わって少しすぎた、あたたかい散歩日和だった。いっちょう行ってみるかと、丸ケ崎の「温温」と「かぎろひ」まで歩いた。

東大宮駅東側へ出て、丸ケ崎方面へ行くバス通りには、いちおう通りの名前があるが覚えてない、とにかくその通りを北へ向かって、ずんずん歩く。

おお、あれに見えるは芝浦工大キャンパスか、おお、ワークマンがあるじゃないか、とかとか、のんびりきょろきょろしながら歩いた。

広い道路、東大宮バイパスをこえ、もう歩くのも嫌になったなあというころ、続いていた家並みがプッツリ切れ、田んぼが広がった。

バス通りから田んぼのなかの道へ入り、ちょっと行くと、「温温」と「かぎろひ」の看板があった。そこを曲がり、先に見える林のなかに、あるらしい。

10年前に引っ越した翌年、ふとしたことから地元の若い方と知り合った。砂の万灯祭に一緒に行ったり、居酒屋などを教えてもらったりしているあいだに、「温温」と「かぎろひ」の話が出てきた。「温温」はレストランで、「かぎろひ」は食品を扱うフェアトレードの店だという。話を聞いていると、どちらも、マクロビ系というのかな、エコロジーとか自然志向というのかな、「意識高い系」といわれたりする、そういう印象だった。

「温温」は、いまと同じ場所にあったが、「かぎろひ」は駅東側の5分とかからないところにあった。おれは、食べ物はなんでもいい意識低い系の雑な人間で、うまいものにこだわりはないがまるで関心がないわけじゃない。いちおう食がらみの仕事は長いし。

とにかく、駅から近かった「かぎろひ」は、たまーに利用するようになった。とくに、奈良の吉野のそーめんは、すっかり気に入って何度か買っていた。その「かぎろひ」が、家主の都合で立ち退かなくてはならなくなり「温温」がある場所へ移ったのだった。

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高い木々に囲まれて、「温温」と「かぎろひ」はあった。素朴なたたずまいだ。

「温温」は、昔のしっかりした木造を店舗にしている。民芸調の焼き物なども陳列され、静かで落ち着いた空間。窓越しに見える裏の林の緑が爽やかだ。

うーん、日ごろ猥雑な大衆食堂を好んでいるおれとしては、チョイと非日常的だが、逃げ出したいほど気取った空間ではない。ま、悪くないのだ。

それに、とにかく、うまいビールが飲めればごきげん。ってことで、小江戸ビールが何種類かあったうちから、あ~なんというか忘れた一つ選び、それと野菜カレーを頼んだ。

小江戸ビール、うまかった。野菜カレーも、米が五穀米のようなものだったかな身体によさそうな、うまかった。

道すがらも含め、こういう環境での飲食の満足は、都内では無理だろう。午後2時過ぎだったが、カップル何組か、おばさんたち何組か、静かに読書するこの空間が似合う女子一人、といったぐあいだった。

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満足して出て、向かいにある「かぎろひ」へ行った。見覚えのあるお店の方はいなかったが、吉野のそーめんがあったので買った。

帰り。同じ道を東大宮へもどるのつまらないからと、蓮田駅まで歩くことにした。このへんは、東大宮と蓮田の中間ぐらいだ。

バス通りにもどって蓮田方面へ向かうとすぐ、川があった。

さいたま市と蓮田市の境になる綾瀬川で、そばには白亜のラブホテルが建ち、その少し川下の対岸に、いま出てきたばかりの「温温」と「かぎろひ」がたたずむ林があった。悪くない風景に、さらに満足を深め、勢いよく蓮田駅へ向かったのだった。

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東大宮に引っ越して10年。

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10年前の10月、いまの東大宮の家に引っ越してきた。

その1か月前ほどの9月に、いわゆる「リーマンショック」があった。イヤな感じだった。

しかし、この10年間のうちに、東大宮には、どんどん住宅の戸建てやマンションが建った。

ウチから駅へ向かう通りの、すぐそばの駐車場には3戸が建ち、その向こうの駐車場にも3戸、そのまた向こうの駐車場にも3戸、その隣の畑だったところに4戸、その隣の大きな屋敷だったところには10戸、というぐあいに、駐車場や空き地や畑は、どんどん住宅になった。

若い家族が増えた、子供たちも増えた。「少子高齢化」がウソみたいだ。

と、こうなってみると、よく住みたい町として話題になる、たとえば吉祥寺のようなオシャレな買い物に便利とかではなく、年寄りから子供たちまでがいる町、日常の何気ない景色の中に、いつも子供たちがいる町ってのはいいなと思う。

おれがスーパーで買い物しての帰り、小学生たちとすれちがうと、「こんにちは~」と声をかけられる。おれも「こんにちは」とかえす。ああいいなあと思う。

引っ越してきたときから、人が住んでいるかどうかわからない、大きな欅に囲まれた屋敷があった。よく見ると林の中に、古い納屋のような建物と比較的新しい、いい材質に見える外壁の建物があった。だから、人が住んでいるのだろうと思っていたのだが、よくわからない。しだいに蔦が全体を覆い、これはもう誰も住んでいないんだなと思われた。門のあたりも荒れ放題になった。

このあたりでは、ここしかない、巨大な欅の林だ。見た目、樹齢100年以上の欅が数本はあった。上のほうには、カラスが巣をつくっていた。

そこが、この秋、更地になった。林もその中にあった建物も姿を消し、林の向こうにあった住宅が露わになった。それは、チョイと寂しいできごとだった。

ここにまた、家が建ち、新しい人たちが移ってくることだろう。

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道を尋ねられた。

親水公園

写真の親水公園の横の道を歩いていたら、ご老人に呼び止められた。

こちらも後期高齢者にされたばかりだが、ご老人は80歳はこえているように見えた。おれより背が低く、160センチには届かないだろう小柄で、茶色のソフト帽に茶色の上着を着て、たしかズボンも茶系だった。

「本郷町はどっちですか」と言う。

「はあ」

「本郷町なんですが」

わからない本郷町、どこのことだ。

もしかして。おれはご老人の顔をのぞきこんだ。

ときどき防災無線のスピーカーから「尋ね人」だか「迷い人」だかの放送が流れる。たいがい老人だ。

もしかしたら、このご老人は…と、思ったのだ。

おれは、少し不審を顔にあらわしたかもしれない。

すると「北区です、北区はどっちですか」と、ご老人が言った。声も言葉もしっかりしていた。

ああ、北区か、そういえば本郷町という町名があったような気がするな。

「北区なら、あの橋を渡った向こうです。向こうはもう北区ですよ」

東大宮操車場の上にかかる、歩行者と自転車とバイクしか通れない跨線橋を指でさした。

「ああ、あの向こう側は北区になるんですか」

ご老人は念を押すと、礼を言って歩き出した。

見送っていると、スタスタスタ、けっこう早い若い足取りで、跨線橋のゆるい坂を登って行った。

あとで地図を見たら、その跨線橋を渡ったとこは本郷町だった。

隣接する町だが、間に広い操車場もあるからか、「隣」のことは気にしたことがない。

ときどき跨線橋を渡ってあちらへ散歩に行くこともあるが、そこが「本郷町」だとは知らなかった。

日頃よく利用する東大宮駅の方角しか覚えていないのだ。認識なんて、そんなものだし、チョイと言葉をかわすだけで、それが変わったりするのだな。

東大宮駅東口の道路が延びる。

東大宮東道路1

東大宮駅東口広場から真っすぐ延びている道路だが、ここに越して来たころ、どこまで続いているのだろうと歩いて行ったら、1キロも歩いたか歩かないうちに、とつぜん植木畑のような荒れ地のようなところにぶちあたり、急に細くなって曲がっていた。少し裏切られた気分で引き返したのだった。

その道路の延長工事が始まり、なんだかヨークマートが入るショッピングセンターもできる、という話を少し前に酒場のタイショーに聞いて、行った見た。

すでに植木畑のような荒れ地のようなところは姿を消し、交通止めの向こうには新品の道路が延びていた。先には工事中の大きなビルも見える。

新しい道路の両側は、ほとんど空き地であり、駅から直線で近いのだから、そのうち建物で埋まるだろう。とか、たいして感慨も感想もなく眺めた。

酒場のタイショーの話によると、この工事で東大宮あたりの経済は活気づいているらしい。とくに商売をしている方は、期待が大きいにちがいない。期待ばかりではなく、ショッピングセンターの出現は、いろいろな影響があるから、不安を持つひともいるだろう。

ともあれ、東大宮は凡庸な住宅地であるから、これはチョイとしたジケンにはちがいない。

はて、これから東大宮はどうなるのだろう。駅東口周辺では、県住宅供給公社のアパートの再開発や、移転した東大宮病院の跡地に新興宗教団体の建物が建つらしい(すでに整地された跡地には新興宗教団体の看板が立っている)など、しばらく変化が続くようだ。

そうそう、この新しいショッピングセンターの名称は、「ハレノテラス」だそうだ。
http://hare-terra.com/

東大宮らしい凡庸な名称といえるか。凡庸は好ましい、平穏平和の証しだ。

東大宮東道路2







ドイトの近くのぶどう畑。

投稿をさぼっていたら、どんどん日にちがすぎ、もう8月の第二週だ。

先週2日と3日には東大宮サマーフェスティバルもあった。2日に行ったら、すごい人出だった。盆踊りも、たくさんの人が踊っていた。以前のように、ゆかたを着た踊り団体風のおばさんたちだけじゃなく、少年も少女も、会社帰りのねえちゃんも、ランニングシャツのおやじも、とにかくいろいろな人が、楽しく踊っていた。おれも、ビールを飲んで、見るだけじゃつまらないから、東京音頭を一曲踊って、ちゃぶへ。

カウンターで、まいどの馴染み客と。ビール飲んで踊ってきたせいか、酔いが早い。早めに引きあげようと出たが、西口側で足が勝手に太郎へ向かった。なんと、カウンターに、前日ツイッターでやりとりして、太郎っていいね、ママは傑作人物とかツイートしあっていた、女性がいた。もちろん初対面で知らなかったが、彼女と連れの方が十日町のへぎそばかなんかの話しをしていたら、太郎のママが、こちらも新潟と、おれのことを紹介して、わかった。こうして、また地元の知り合いが増えた。けっこうなことであるね。けっきょく、泥酔帰宅。

ま、そんなこんな、いろいろありましたが、今日は、7月15日の万灯祭(http://entetsuhigashioomiya.blog.fc2.com/blog-category-8.html)の帰りに、第二産業道路の八雲神社の信号を渡り、ドイトの前から駅の方へ向かおうとしたときあった、ぶどう畑。ぶどうには袋がかけられ、あとは収穫を待つばかりという状態だったが、あれから2週間以上がすぎた。どうなっているだろう。この実は、どうなるのだろう。以前に掲載した、別のぶどう畑と梨畑も含めて、見に行きたいが、なにしろ暑くてね。

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