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2019年元旦、初詣。

元旦の昼過ぎに初詣に行きました。
前にも書いたように、信仰心はないのですが、神社に古(いにしえ)を訪ねるのは好きです。

有名なにぎやかな神社は避けて、古と語り合える静かなところ、できたら疲れないていどに歩いて散歩に丁度よいところ、ということで地図で調べたら、土呂中のそばの見沼代用水西縁に沿って下ると神明社があるのがわかりました。ここはまだ行ったことがありません。

地図では境内がグリーンに塗られ公園に隣接しているので木が茂っているようです、それにそばの道路には神明橋通りの名があるぐらいだから土地では由緒ある神社にちがいないと判断し、行ってみることにしました。

宇都宮線に沿った道路を土呂のほうへ向かい、土呂中をすぎたところで見沼用代水西縁と出合う、そこで西縁に沿って左岸にある「見沼緑道」という名の遊歩道を選びます。

その入り口のベンチで、一人の中年の男性が休んでいました。

「こんにちは、いい天気ですねえ」と声をかけられたので、「新年早々いい天気で何よりです」と応えると、「大宮から歩いて来ました、汗をかきましたよ」。

男性は、ゆだったような顔をしていました。着こんで出かけたこちらも暑いぐらいでした。

緑道には、ところどころ休憩所のようなものがあります。土呂中の一部も入れて写真に収めました。空を仰ぐと、モクレンのつぼみが、ふくらみかけていました。いい日和です。

土呂神明社01

土呂神明社02

神明橋通りを渡ったところで、右岸の緑道を選びます。すぐ先に、こんもりと林が見えます。そこが神明社だろうと見当をつけて歩きますと、やはりそうでした。

「おお、すごい」

思わず声が出たほど、天高く、というかんじで、樟が枝を広げ伸びています。これを見ただけでも、来た甲斐がありました。

土呂神明社03

土呂神明社04

誰もいません。

天は木々が覆っている静かな境内です。

狛犬の奥に、拝殿があり、その奥に本殿があります。いずれも「渋さ」をかんじさせる簡素な建物です。

連れが手水がない、と言います。そんなものは無くてもいいのです。

土呂神明社05

由緒書きを見ます。

住所は、さいたま市北区土呂町(とろちょう)二-八三

「当社は大宮台地の東端に鎮座している。境内東側は低地で、江戸中期まで見沼が広がっていた。地名の「土呂」は「瀞」と同じく静かに水をたたえる場所を示す語であることから、見沼に由来している」

なるほど「土呂」の由緒を初めて知った。

神明社といえば、祭神は、天照大御神。

拝殿の横に回って、本殿の眺めると、伊勢神宮を模した造りになっていました。その上を木々が枝をはり、古をかんじさせます。

土呂神明社06

前のエントリーの中山神社もそうですが、見沼周辺の台地の端にある神社は、もともと土地の住民による見沼信仰のようなものがあり、あとから「進出」してきた神様と混ざり合いながら、自然を基盤にした生産を生業とする土地の暮らしと共に発展してきたのでしょう。

高度経済成長以後とくに1980年代からこちら、その暮らしは、すっかり変わり、見沼周辺の様子も一変したはずです。

しかし、新たな神様の創出も進出もなく、人びとは願い事を神様に頼るのではなく、「情報」に頼るようになった。と、考えたとき、もともと「神様」とは「情報」だったのではないかということに思い至るのでした。

神様のいる神社に人々が集まり情報が集まり暮らしが成り立ってきた。

いま、神様はパソコンやスマホの中に鎮座しているのでしょうか。

そういえば、枝を張ってたくさんの葉をつけた樟の大木は、巨大な情報システムに見えなくもありません。

そんなことをふわふわ考えなが神明社の境内を出ました。何組かの家族やグループが参詣に来てました。

神明社が建つ大宮台地の東端と見沼の低地との境を流れる見沼代用水西縁を一緒に撮影し、さらに西縁に沿って市民の森公園の見沼グリーンセンターのところまで歩き、土呂駅に出て電車で東大宮に帰ったのでした。

土呂神明社07

土呂神明社08
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今年の初詣。

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まもなく今年が終わり、また新しい今年が始まる。ややこしい。

今年の初詣は、1月2日に大宮からバスに乗って、かねてから行ってみたかった中山神社へ行った。

おれは、無宗教無信仰だが、民俗としての神様や神社に興味がある。

とくに中山神社のばあい、もともとは「中氷川神社」だったが、明治の後半に「中山神社」に改称されたようだ。

そして、中氷川神社は、氷川神社と氷川女体神社と一体の神社を形成していたのであり、中氷川神社は「氷川神社と氷川女体神社の直線上にあり、広大な見沼を挟んでちょうど中間に位置する。太陽は夏至に西北西の氷川神社に沈み、冬至には東南東の氷川女体神社から昇るという、稲作で重要な暦を正確に把握するための意図的な配置となっている」ということは、ウィキペディアにも書かれている。

大変、興味深い。

氷川神社は大宮駅から近いので何度も行っているし、氷川女体神社はバスを利用しなくてはならないが近くの見沼たんぼで知人が農園をやっているので、そこを訪ねるついでに何度か行っているし、今年の夏にも行った。

中山神社は、バスを利用してもチョイと遠い感じで、行くのが延び延びになっていたのだが、今年の初詣を口実に行った。

氷川神社と氷川女体神社に比べると、ちょっとさびれている感じがあるが、それだけにあまり着飾ることなく、土着の生活にとけこんでいる趣があるように見えた。とはいえ、周囲は新しい住宅が建ち、それが境内にまでせまり、「土着の生活」も心もとないのだが。鳥居も鳥居にあるしめ縄も、とても素朴な感じであった。

中山神社は氷川女体神社と同じ、崇神天皇2年(紀元前95年)創建と伝えられるが、新しい社殿の背後には「旧社殿」が囲いに保護されて残っている。

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いまここでは詳しい説明は省くが「この旧社殿は、簡素な板葺の「見世棚造り」が二間社となり、階段などを装飾して「流れ造り」に発展していく過渡期の建造物といえます。桃山期のものと考えられ、県内に現存する社殿でも古い型式に入り、市内では最古のものであり、建築学上大変貴重な資料です」との大宮市教育委員会の説明書きがあった。

とにかく、この氷川三社は、見沼に張り出した台地の端にあり、水に近く日当たりがよい地形にある。だいたいこういうところは大昔から人が住みつき暮らしを重ねている。その場所に蓄えられた人びとの願いに思いをはせてみるのもたのしい。そんな思いをめぐらすのも信仰の一つの在り方かもしれない。

大宮の氷川神社などは、立派すぎて神道ビジネス的で権威主義的で、そんな気はおきないが、原初がしのばれる中山神社や氷川女体神社では、神社をはさんで見知らぬ過去の人たちや未知のものとふれあう感じになる。そこから現代に生きる物語に引き継がれることもあるだろう。

下の写真は、この夏の氷川女体神社。中山神社とは社殿の造りの型式がちがう。昔から最も重要な祭りである「磐船祭」が行われたという池の中の島では、何の祭祀か、子供たちがリハーサルをさせられていた。そばには、鷺が一羽。

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氷川神社。

氷川神社1


大宮の名高い「武蔵一宮氷川神社」ではなく、東京や埼玉あたりに200社ぐらいあるといわれる氷川神社の一つ、わが東大宮のそれだ。

信仰心はゼロに近いが、遺跡としての神社に興味がある。遺跡の中でも神社は、地域と密接な歴史にふれる手掛かりになる。

ま、土地の歴史は長老などに話しを聞くのがよいに違いない。あるいは図書館などで郷土史をひもとけばよいのだろう。だけど、引っ越して来て10年足らずで長老と親しくする機会もなく、その機会を積極的につくる気もない。ウチから図書館まで行くのはメンドウだ。ようするにそれほど切実な欲求でもないのが実情で、お散歩しながら興味がおもむくままに手掛かりを求め、フムフムと納得を積み重ねるのも楽しい。

東大宮7丁目にある氷川神社は、現在の地図では東大宮7丁目だが、いま手元にある1995年発行の埼玉県の地図では、そこは砂町(すなちょう)一丁目になっている。

この氷川神社には「村社」と刻んだ石柱がある。そして、参道入口の「氷川神社 御由緒」を見ると、「当社は明治六年四月に村社に列し」とある。その村は「砂村」であり、「明治二十二年に今羽村・西本郷村・土呂村・大和田村・堀崎村・島村・砂村の七か村が合併し、新たに大砂土村が設置されるとこの村の惣鎮守となった」のだ。ようするに、現在の東大宮から土呂や大和田一帯の守り神、という立場だったのだな。

ここにあがった地名のうち、新しい地図で見て発見できたかぎりでは、土呂、大和田、堀崎、島、砂は町名に残っているが、ほかは町名にはないようだ。しかし、「大砂土」については、中学校と小学校の名前に残っている、というのも散歩で見つけた。

「大砂土」は、大和田の「大」、「砂」、土呂の「土」の合成だろうということは容易に想像できる。

1964年に東大宮駅が開業して、「東大宮」という地名が、土地の歴史とはなんの因縁もなしに誕生し広がったわけだが、このことに限らず、地名の変遷の背後にあるものを想像してみると、なかなか面白い。

それはともかく、この氷川神社の「御祭神」は、「素盞嗚尊(スサノオノミコト)」であり、「御神徳」には、「武運長久、厄除け、商売繁盛」とある。現在ここで「武運長久を願う人はどんな人か想像してみた。

比較的新しい住宅に囲われ飲みこまれた感じの境内には、傷みの激しい神楽殿があり、かつての深い信心が偲ばれる一方、神社の敷地の表側と裏側の一角を整地して「氏子専用駐車場」なるものができている。なかなか興味深い風景であり、祭りを見てみたいと思った。

しかし、氏子専用駐車場に侵されているとはいえ、こういう神社がなかったら、住宅街の中のわずかな緑地も残らなかったのかも知れないのだから、人間の所業は棚に上げ、神様には大いに感謝すべきなのかも知れない。

氷川神社2

氷川神社3

空地と思ったのは神社だった。

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前から気になっていた空地があった。住居跡のようでもないし、雑草が生えているどころか、関東ローム層独特の赤土が露出し、降雨のためだろう、やや低い方へ向かって流れている。

先日たまたま古い土地の方と一緒になり、尋ねたら、「神社の土地」であると。

言われたとおり、よく見ると、奥の隅に「稲荷大神」と彫られた、石の板碑のようなものが立っていた。

お稲荷さんといえば、穀物や農業の神様だ。このあたりはかつては広大な農地だったようだから、こういう神社があっても不思議はない。

いったい、この地に、どんな信仰があったのか。

それにしても、時勢が変わったとはいえ、ミゴトな捨てられっぷりだ。

それに、どうしてこんなに赤土が露出してしまったのだろう。普通は放っておけば、手がつけられないほど雑草が生えるはずだ。草取り管理をしている人がいるのだろうか。雑草が生えていた方が、赤土が流れないでよいようにも思う。

一番よいのは、どこかに合祀してあげることか。

なんだか気になっている。

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砂の万灯祭。

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きのうは、朝から、何度か花火の音がしていた。八雲神社の万灯祭なのだ。

夕方、買い物がてら行って見ようかと思ったが、雷の音がしていたので、とりあえずマミーマートで買い物をし、やまだ農園の「やさいはんず」がやっていたからナスを買い、一度家にもどった。

雷は、こちらには来ないで、どこかへ行ったから、18時半すぎ、八雲神社へ行った。2009年の夏以来だ。

東大宮の祭りでは、このあたりが砂村と呼ばれていたらしい江戸後期から続く、最も古い祭りのようだ。一度「都市化」で途絶えていたが、復活したとのこと。もとは、万灯をかついで村内を練り歩いたらしいが、いまは境内に並べるだけになっている。

ま、でも、古い祭りが続いているって、よいことだと思う。なんというか地域のうるおいですね。この場所は、資本や企業が設えたのではなく、人びとによって支えられて続き、ひとが人として集まり過ごすのだから。人びとが積み上げてきた場所の歴史以外、なにもないのだ。そこが、消費の対象となった「公共」や、新しいイベントや祭りとちがう。

新しい家が建ち、新しい住民が増え、どう続いていくかはわからないが、見物が1人でも多ければ、続ける何かになるかと思い行って見る。だけど、とくに、何もなく、そもそも信心がないのがいけないのかも知れないが、ざっと見るだけ。とにかく、身近の小さな祭りを大事にすることは、自分の暮らしと土地とのつながりを確認するうえでも、大切だと思う。

八雲神社は境内が道路で分断されている。広いほうの境内に万灯が並び、狭いほうの観音堂の境内に大欅がある。樹齢数百年、八雲神社の神木ということだ。

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興味が引かれたのは、万灯が並ぶ境内の一角に、子どもたちが遊ぶ人工の小山があって、これは富士講の富士山のようなものだが、登り口の石塔に「御嶽大社」とある。富士信仰ではなく、御嶽信仰のものらしい。いったい木曽の御嶽か、奥多摩の御嶽か、気になった。このあいだ『オオカミの護符』を読んで、関東一円の御嶽山信仰とオオカミ信仰が関東の農業や生活と深い関係にあると知ったので、大いに気になる。

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ざっと見て、やることもないので、東口のちゃぶへ行った。2008年の秋引越してきて、09年の夏初めてこの祭りへ行ったとき、地元の方たちに案内されて、ちゃぶが今のところへ移転する前のちゃぶだいへ行ったのだった。というわけで、万灯のあとはちゃぶへ、というわけなのだ。いや、ビールが飲みたかっただけ。

カウンターに馴染みさんたちがいて、おしゃべりしながら、けっこう飲んでしまった。よい祭りの夜でした。
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