東口の西友へ。低レベル満足の買い物。

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東日本大震災で心境の変化、という確証はないのだが、一昨年の後半ぐらいに発作的に「脱ユニクロ」を決意した。その後、衣服は東大宮で買っている。いまのところ、第二産業道路沿いの「しまむら」「ドイト」そして東口の「西友」を利用してきた。

そもそも、とんがった生き方やファッションは好みじゃないし、なんにつけ地味、普通、凡庸、平凡、そういう類が、わが身の丈にあっていると思っている。なにしろ「それゆけ30~50点人生」が、モットーだからね。

今日は、これまで着ていた部屋着が、もうこれ以上は無理だというぐらいボロボロになったので、それに替わるものを求めて、西友へ行った。こういうものは、西友が選択肢が多くてよいだろうと思ったからだ。

しまむらはワンフロアーに女性用が圧倒的で、その下着売り場なんぞを通って男物コーナーへ行く楽しみがあるが、男子用は品種品数が少なすぎる。いま部屋着にしている、長袖Tシャツは、一着550円の安売りで買ったが、たいがい下着やそれに近いものを買う。ドイトでは、作業着の売り場で、上着や、その下に着るシャツを買う。といった感じなのだ。

哀れ、鬼畜米資本のウォルマートの日本における子会社になってしまった西友。この東大宮店は大きいが、ショッピングセンターというには不足、GMS(ゼネラルマーチャンダイズストア)といったところか。1階が食品、2階が女子ファッション、3階に文具と家電などに男子ファッション。

その3階で、スウェットのハーフパンツ1490円を買った。行くときは2着買っておかなくてはと思っていたのに、急にケチ心がわいて、1着だけにしてしまった。洗濯のときは、普通のパンツですごせばよいか。

ついでに、夕飯の買い物をした。この食品売り場は、でかくて苦手だ。トマトだけでも何種類もあるし、選択肢が多すぎて、見て選ぶのが面倒だ。単にモノグサなだけ。目に入ったものを瞬間的にとって、さっさとすます。おれには、西口のマミーマートやマルエツぐらいの売り場が、ちょうどよい。スーパーで、たくさんの中から真剣になって、よいものを選ぶ気はない。難がなければよいのだ。

酒を買うときが、困る。酒の値段を気にする飲兵衛なもので、ほかの店の値段が気になる。ウチから一番近いセイムス、西口のマミーマート、東口の西友の前のビッグ・エー、比較的新しい東口広場のアコレ、どれも安い酒があるが、日にちによって安売りの酒が異なり、いつも同じ値段ではない。それに、1000円もしないものを買うのに、この店を全部まわって一番安い店を選ぶなんてのは面倒すぎる。そもそも、酒は、そのときの気分と値段で決めるので、比較は不可能なのだが、ほかの店の値段が気になるのだな。貧乏酒飲みの貧乏性。

今日の西友は、ブラックニッカクリアが大量エンド陳列で、698円だった。700円を2円切っているだけなのに、おっ、安い、たしかこれは通常どこでも700円台のはずだと思って、買ってしまうのだ。ウイスキーなのにアルコール度数37にした分、安いのは当然なのだが、それで、よいのである。安い気分で酔えれば、うれしいのだ。

そうして、なんか得した気分よい買い物をした気分で帰ってきた。なんとも低レベル満足度であるが、これがおれには合っている。

マクドナルドには入ったことがない。西友入口の左側にある靴の直しをやる店は、利用したことがある。

西友と、ハードディスカンターのビッグ・エーは、向かい合って存在する。どちらも24時間営業。おれは一時、東大宮に引っ越してくるまえ、ビッグ・エーのヘヴィユーザーだった経歴があり、いまでも愛顧していて、ときどき買い物をする。今日は買う物がないので、パス。

以前に、スーパー業界誌の『食品商業』に寄稿した、「おれとビッグ・エーのまったくもって妙な関係」は、もう一つのおれのブログ「ザ大衆食つまみぐい」でご覧いただける。
http://enmeshi.way-nifty.com/meshi/2011/07/post-50be.html

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東大宮名所?尾山台団地。

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「団地ブーム」だとか。何をするのか、よく知らないが「団地団」とかいうのもあるようだ。団地めぐりの観光?もあるようだ。

「団地」という言葉は、計画された「一団の土地」「一団の地域」のことだそうで、住宅団地、工業団地、農業団地さまざまだが、ブームになっているのは住宅団地。それも、このような集合住宅の団地らしい。

東大宮と周辺は、団地で開けたといっても過言ではないだろう。団地がたくさんあるので、一つひとつ見て行きたいと思っている。

なかでも尾山台団地は、おれの古い記憶にもある。そのころは、「団地ブーム」といっても、いまの観るブームと違い、郊外における大型団地建設ブームの最初の頃だった。尾山台は、その先陣に含まれる。おれは、東京の西の方、70年に完成と同時に入居した町田市の藤の台団地に住んでいたので、埼玉については疎く、どのへんにあるかわからなかったが、千葉の花見川、埼玉の松原と尾山台などは、比較的早くできた大きな団地ということで、話題になっていた。

東大宮駅の開業が、1964(昭和39)年3月。尾山台団地の入居開始が、1967(昭和42)年。

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戸数1,760戸は、いまでは大きいほうではないが、それでもこの団地を見ていると、建物ができて町ができ、街ができるのだなと思う。

前にもリンクをはった1974年の航空写真。団地だけが、町のようであり、街のように見える。
http://archive.gsi.go.jp/airphoto/ViewPhotoServlet?workname=CKT7415&courseno=C5&photono=21

道路にそって、南北に長い団地だから、東大宮駅に一番近いところは徒歩10数分ぐらい、一番離れたところは、さらに同じくらいになるか。とはいえ、尾山台団地は全面的に、上尾市になるのだな。

建物も植栽も年季が入っているせいか、自分が初めて入居した藤の台団地と同じような建物で懐かしいせいか、近頃の高層マンションと比べると、画一的なデザインのはずなのに、さほど無機的ではなく、わりと生活感のある味な風景に感じる。

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かつては、ショッピングセンターのある団地暮らしは憧れの的で、周辺の住人も、スーパーなどは、団地にしかない場合も多く、休日には家族ずれがクルマで押しかけ列をなすといったことが、珍しくなかった。

センターには、スーパーのほかに商店や保育園や医院などがセットだったから、生活の利便は悪くない。5階でもエレベーターがなかったりなど、不都合もあったが、棟と棟のあいだはゆったりしていたし、昨今の、公共までなんでもかんでもカネしだいとは違う、生活の理念があったといえるのではないか。と、考えたりするのだった。

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下の写真。尾山台団地の南の端の一部は見沼代用水西縁の際まである。田んぼと、おそらく田んぼを開発したらしい比較的新しい建売住宅が建つ。団地が開けることで町と街ができ、周辺の農地も、しだいに住宅になる。

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ここからは違う日の撮影。

尾山台団地の東側は宇都宮線で、北端は国道16号東大宮バイパスになる。宇都宮線と立体交差の東大宮バイパスの陸橋から南を見ると、宇都宮線沿いに住宅が切れ目なく続いている。この切れ目のない住宅の景色は、東大宮駅の南側の見沼たんぼで少し途切れるだけで、都内まで続いている。

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そして反対の、東大宮バイパスの北側の陸橋から蓮田方面を見ると、景色はガラリ変わる。ここで、都内から続く都市の連続が切れた感じになる。田畑が広がる農村的風景。なので、おれは、このあたりを「都鄙臨界地帯」と呼ぶことにしている。いや、蓮田は農村だ田舎だ、と言うつもりじゃありませんが。

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レバ刺しが食べたくなって。

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レバ刺しが食べられなくなって、なんともなく過ぎていたが、今日は、すごく食べたくなった。以前は、東大宮駅西口の鉄砲屋にかけこめばよかったのだが、いまは、とにかく食べさせてもらえないのだ。カナシイ、切ない。

鉄砲屋で食べられたころの写真があったはずだと、探したら、あるにはあったが、見たら、ますます食べたくなった。

1人でもだえているのもツマラナイから、どうです、写真を見ると、ますます食べたくなりませんか、と掲載することにした。

ついでに、駅ホームから見た、鉄砲屋がある一角。

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以前は、2階に、「セブ」という、フィリピンパブの食材やパブで働くフィリピーナの衣装などを売っている店があった。東大宮のフィリピンパブだけではなく、沿線の需要を満たしていたらしい。08年10月の撮影。ここが撤退したのは、いつのことだったか。フィリピンパブは減少の傾向にあると、そちらに詳しい男から聞いたことがある。そういえば、街で見かけるフィリピーナも少なくなったような気がする。でも、第二産業道路沿いのフィリピンパブは健在だ。

しばらくして、セブのあとは、現在の、居酒屋「がしみ屋」になった。末広と鉄砲屋はときどき利用しているが、丸源とがしみ屋は、まだ入ったことがない。気にはなっているが、基本は、家でめしを作り食べることにしているでの、酒も家飲みが多い。出かけるときは、都内で飲んでしまうし。まだまだ、知らない飲食店が多い。

気になるなあと眺めて、財布のひもを締める。ホームから見る末広の佇まいも好きだ。

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すみません、公園清掃。

すみません、すみません、今朝8時半からのクリーン作戦の公園清掃、2度寝してしまい、目が覚めたら9時半でした。すみません。

さきほど公園のそばを通ったら、いつもより雑草が多く残っていた。もしかすると、今日は参加者が少なかったのだろうか、すまなかったな~と思いながら歩いたのでした。すみません、すみません。

写真は一ヵ月ほど前に撮影したもの。左側は見沼小学校の校庭の木、右側の柵の向こうに東大宮操車場が見えるのだが、柵と操車場のあいだに空き地があり、これは、この先の右側にある栄東中学校と高等学校の地所とつながっている。

で、左側は東大宮2丁目だけど、右側は、手元の2011年発行の地図によると、砂町(すなちょう)2丁目になっている。では砂町1丁目はどこであろうかとグーグル検索すると、ない。そして、砂町2丁目は、ただの「砂町」になっている。どうやら、古い歴史的地名の「砂町」は、ここにこうして残っているだけらしい。

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残念、「大宮名物餃子の店 大雅」の跡。

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昨日は暑かった。大分県のほうでは真夏日を記録したというニュースがあった。日中は、暑くて眠くてビールが飲みたいのをガマンして仕事をしていたが、あまり片付かなかった。夕方、スーパーへ買い物に出た。歩いているうちに、どうしてもビールが飲みたくなった。どこにしようか迷ったが、ついでに線路沿いも散歩してみたくもあり、それに最近行ってなかったので、コタツへ行った。まだ暖簾が出てない、18時開店早々だった。

のんびりおしゃべりしながら、とりのハムとあじの刺身に、生ビールを2杯飲んで、外に出た。風がさわやかで、心地よい、夕方だった。ちょうど電車が多い時間帯だから、上りが音をたて、東大宮駅にすべりこむところだった。うーん、いいねえ、と思いながら、素早くカメラを取り出してシャッターを切った。ちょうど、下り電車が、ホームに停車したところだった。コタツは、この線路際だから、飲んでいると、窓から電車が通るのが見える。その風情がよくて、酒のつまみになる。走る電車を見ていると、なんだか無邪気になれるのだな。

マミーマートへ行こうと歩いていたら、大きな空き地ができていた。あれっ、ここはと思ったら、大雅の跡だった。建物も大きかったけど、敷地もずいぶん広かったのだなあ。なくなったら、あらためて、裏側はJAさいたまの大きな建物だとわかった。

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大雅がなくなったのは、ほんとうに残念だ。たしか今年に入ってからだったか、前を通ったら、喪中で休んでいた。もしかしたら、あのおやじが、と思った。やはり、そうだった。まもなく、営業時間を短くというか、餃子が売切れ次第閉店で再開した。さっそく入ってみたが、やはり、あの大柄なおやじの姿はなかった。家族4人でやっていたが、1人が戻らぬひとになったのだ。そして、2月の後半に店を閉める張り紙が出た。

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最終日は2月28日だった。以前、一度一緒に入ったことがある知人が、小岩に住んでいるのだが、わざわざ来て、行列になるかも知れないからと、夕方の開店時間前に行った。そしたら、もうこの日の分は売り切れで、「本日をもって閉店いたします。長い間ありがとうございました。 大雅」の張り紙。おれたちと同じような人たちが、次々に来たが、みなガッカリ残念がって、帰った。あっさりした幕切れだった。

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焼餃子と水餃子とキムチとラーメンと味噌ラーメンとチャーシューメンだけのシンプルなメニュー。餃子は10個盛りで450円だった。肉汁をタップリ含んだ大ぶりの餃子で、食べ応えがあった。ちょっと干しエビの味がして、好みがわかれるようだったが、おれは好きだった。水餃子がうまかった。キムチがうまくて、生ビールを頼むと、これが突き出しで付いてきた。生ビールが550円だったから、餃子とで、ちょうど1000円だ。しかも、この生ビールが、中とはいえ、昔の中ジョッキでデカイのだ。1000円で、大いに満足できた。

大雅

店がなくなったのは、ほんとうに残念だ。土曜日と日曜日は、通し営業だったから、昼からここで、餃子と生ビールをやるのが楽しみだった。生ビールのジョッキも餃子もラーメンも、なにもかも、店舗も、ここのおやじのように、ざっくり大柄でよかった。「大雅」より「大河」「大陸」が似合っている店だった。

おやじ、ありがとう、安らかに。大雅、さらば。

大雅 (3)

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気になる送電線と鉄塔のある風景。

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東大宮に引っ越してきて、マニアでもオタクでもないが、気になる風景が二つある。

一つは、実際に「鉄ちゃん」と呼ばれるらしいマニアやオタクの姿を見かける、東大宮操車場だ。操車場でなくても、宇都宮線を走る電車を見ると、なぜかコーフンする。なんてのかな、景色を突っ切って走る姿が、かっこいいのだ。それに、とりわけ貨物が轟音をひびかせて通る景色も、かっこいい。じつに単純だ。いずれも、写真があるので、そのうち掲載することにして、今日は送電線だ。

写真は、宇都宮線の東側の、東大宮駅入口の信号と、芝浦工業大学の信号のあいだにある交差点で、撮影した。東大宮6丁目になる。この送電線と鉄塔は、正面の西に向かって宇都宮線を渡って、また背後はさらに東へ向かって、真っ直ぐのびる道路に沿ってある。

西側から言うと、マミーマートの先の交差点を右折して、宇都宮線の踏み切りを渡ると、この交差点に出る。まだ先まで鉄塔は続いている。

反対にマミマートの先の交差点を左折すると、この直線道路も鉄塔も、まもなく見沼代用水西縁にぶつかり、真っ直ぐな直線状態は終わる。

送電線マニアならたちどころに調べて、もう少し何か書きようがあるだろうが、おれはそこまでの根性はない。ただ、なんでここだけ、こんなに真っ直ぐな道路と送電線ができたのだろうかと気になっている。ときどき、西側の送電線の下にあるパン屋へパンを買いに行くのだが、そのたびに、なんでだろう、と立ち止まってボンヤり眺める。

いつかその疑問が解明されることはあるか。気になるので、似たような写真を2枚も掲載しておく。

送電線も鉄道も「線路」、どこまで続く?のロマンがあるようだ。

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公園の清掃。

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つぎの日曜日、26日は、公園の清掃がある。東大宮自治会は、丁目ごとの自治会があり、各丁目自治会はいくつかの地区にわかれ、さらにその地区はいくつかの班にわかれている。

うちの班がある地区が清掃を担当する公園は、東北原公園だが、年に2回、地区で担当する清掃のほかに、年2回、さいたま市のクリーン作戦として行う清掃がある。

クリーン作戦のときは、うちの地区以外の地区も合同で行う。26日の清掃は、このクリーン作戦だ。

うちの班は10世帯しかなく、しかも、2世帯は単身ご老人であり、さらに、東北原公園からは最も遠く、すぐ近くに別の公園があるから、日ごろは、こちらの公園のお世話になることが多い。それもあってか、東北原公園は駅や買い物に行くとき、通りすがりにあるとはいえ、どうもイマイチ清掃への参加がヨワイ。かく言うおれも、参加率50%ぐらいだろう。

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地区で担当のときは、少ない参加者でやるから、たいして片付かないが、クリーン作戦は地区合同だから、参加者も多く、素早く片付く。少し遅れて行こうものなら、鎌などの道具はなくなって、もう草をむしるところもないほどだ。

写真は、2010年5月の清掃ときのもの。クリーン作戦は、事前に各家庭にビニールのごみ袋が配られ、公園に行く途中のごみを拾いながら集まることになっている。このへんは、道にごみを捨てるひとはいないから、ほとんど空のまま、公園に着く。たいがい長くても30分で終わる。お子さんのいる家庭が多いから、子連れ参加も多い。

以前は公園のまわりの側溝のうち、ふたがあるのは、写真の1ヵ所だけだったが、最近工事があって、全部ふたがついたから、清掃は、だいぶ楽になった。

そういえば、2本あった白樺の木は、1本は切られてしまったな。

暑くなると、雑草は、どんどんのびる。金網の下の雑草、手前の刈ったところと、奥のそうでないところの違いがはっきり。

まだ朝のうちは、そう極端に暑くはないが、地区が担当のときは暑い盛りのことがあり、8時半から始めて9時ごろになると、もう暑くて立ちくらみしそうになる。すると、誰かが熱中症にならないうちによそうと言って、終わる。でも、朝の清掃は気持ちがよい。でも、まいどのことだが前夜飲みすぎて、サボることもあるのだ。

おれは、まちづくりは、イベントだのなんだの派手なことより、公園の掃除からと思っているので、なるべく参加したい。はたして、26日は、どうなるか。

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駅近くになしやぶどうの直売農家。でも、農地は減る。

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東大宮駅から、宇都宮線沿いに土呂方面へ、5分ぐらいのところに、なしやぶどうの畑がある。上の写真、中央左に目立つ木のそばの農家の入口が、ぐるっと歩いて、下の写真。こういう景色を、ぶらぶら散歩をするのは、楽しい。

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だけど、ここで農業を営んでいるひとがいるのであり、ときどき、あまり若くはないご夫婦が、畑の手入れをしている姿を見かける。なし一つ一つに袋をかぶせる作業は、大変そうだ。たぶん、ほかにアパートなどの不動産収入もあるのではないかと、勝手に想像するが、農業を続けている。この場所は、おれのウチより駅に近いから、十分住宅地になると思うのだが。

下の写真は、2009年の撮影。毎年、秋になると、こういうぐあいに、畑には袋をつけて実ったなしやぶどうが見られ、農家の入口には、なしとぶどうを販売していること、宅急便で発送もできることを知らせるのぼり旗が立つ。

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大いに気になるのだが、まだ買い求めたことはない。一つには、くだものをあまり食べないからであり、ごくたまーに食べたくなったときは、スーパーでついで買いをしてしまうからだ。生産者と消費者が近くても、生産者が消費者の気まぐれと出合うチャンスは少ない、よい事例になっている。

一方、ウチは4年半ほどまえに引っ越して来たのだが、近所にあった畑の一つが、去年の夏から造成に入り、今年になって4軒の建売が建ち、うち3軒が売れている。

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このあたりに何ヵ所か畑を持っている農家の畑で、引っ越してきたばかりのころは、手が回りかねるのか「貸し農園」の告知があったが、応募者がないらしく、ご自分で耕作をしていた。いつのまにか、その耕作も途絶えがちになった。そして、ある日、こちらから見れば、トツゼン、造成が始まった。

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造成が始まり、家が建ってみると、確かに農地は景観の一部だと実感する。しかし、かりに、その景観を維持したくても、一住民にできることは、ほとんどない。農地は、大部分のひとがあずかり知らないところで、管理されている。

前回、「JAさいたま東大宮野菜直売所で考える」を投稿したあと、知人がツイッターで、農水省の広報誌を教えてくれた。

農水省の広報誌、2013年aff(あふ) 5月号「いいね!都市農業」特集、というものだ。
http://www.maff.go.jp/j/pr/aff/index.html

内容は、こんなぐあいになっている。

1、都市の農地は減り続けています。
2、都市の住民の多くが、農業・農地の保存を望んでいます。
3、都市部の市民農園の数は、着実に増えています。

都市農業の6つの役割。

1、新鮮で安全な農産物の供給。
2、農業体験・交流の場。
3、心やすらぐ緑地空間。
4、都市住民の農業への理解の醸成。
5、災害時の防災空間。
6、国土、環境の保全。

以上。どれも格別な異議はないが、だからといって、ここに都市近郊農業の展望があるわけじゃない。これは、ようするに、補助金なり助成金なりを支出する大義名分、いわゆるコンセンサスづくりのものだろう。ここに見られのは、こうまで言わなくては維持が困難になっている、農業の難しさであり哀しさだ。

役割は、けっこうだが、どれも生産者志向で、マーケティングがない。たとえば「新鮮で安全な農産物の供給」はあっても、流通がなければ、消費と売上げにつながらない。「都市部の市民農園の数は、着実に増えています」とはいえ、消費者の気まぐれレジャーに、農業をゆだねるのは、ずいぶん危険なことだろう。

生産のそばにいてわかることは、生産者と消費者のあいだは、意外に距離があるということだ。これは、なんだろうか。

とりあえず、今年の秋は、この畑のなしとぶどうを買ってみよう。

埼玉県住宅供給公社アパート。

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東大宮駅東側、駅ホームの蓮田寄りの前スグのところにある、この建物は、建て替えだそうで退去が進んでいるようだ。1階が店舗の下駄履きアパートが2棟。カレーが人気だった「じゅん」は、すでに東口広場に移転し居酒屋として充実、最近は昼もカレーをやるようになった。

アパートのほうは、ますます歯の抜けたような景色になっている。東大宮について語る掲示板によれば、すでに10年前から「スラム」と見るひともいたようだ。

おれは、「東大宮一番街」の看板も含め、こういう景色は割りと好きだ。見た目は、建物の老朽化が進行しているようだから、建て替えはやむをえないように思えるが、あとに建つ建物が、なんとなく想像つくのが、いやだねえ。

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できたころは、庶民にとっては垂涎の憧れのアパートだったはずだ。いつできたのか、十分調べたわけじゃないが、わからない。土地のひとなら知っているだろうけど。

東大宮駅の開業が、1964年3月20日。尾山台団地の開設が、1967年。1974年12月26日に撮影の国土地理院の航空写真には、この2棟が写っているのが確認できる。
http://archive.gsi.go.jp/airphoto/ViewPhotoServlet?workname=CKT7415&courseno=C5&photono=21

こういう看板がある景色を、いわゆるありきたりの、いまだ洋風をまねるだけの「都会風洗練」に塗り替えるのとは違う、土着的洗練の方向があるはずと思っているのだが。そんなことを言っても、相手にされませんね。

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アイデンティティ、関係ありそでなさそで。

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重要なことでないのはわかっている。だけど、たったこれだけでも共通性があると、ソコになにか関係があるのかと気になったりする。どれも東大宮駅西口側。

写真上、さいたま市立見沼小学校の校舎の一部。
写真中、見沼区役所東大宮支所のある建物。
写真下、JAさいたま(さいたま農協)本店。

この見た目の共通性は、打放しコンクリート仕上げと黄色を使ったデザイン。それから見た目じゃない近似性をあげれば、小学校と支所は公共施設だし、JAは公共施設ではないが公共性の高い団体の建物だ。血液型的判断をするなら、これだけでも、何かある、と思ってもよいだろう。

写真では、わかりにくいが、小学校と支所の黄色の実際は、ほとんど同じ色だ。JAの黄色は少し違うし帯ではなく窓枠に使用しているあたりが、違う。

だから、どうしたと言われると、いや、ただその、もしかすると何かアイデンティティな意図があって、このようになったのかと考えてみるのも面白いと思って、とりあえず建設年を調べれば、もう少し何か関係性があるかないか、見えるかと思った。だけど、ネットで検索したところでは、さっぱり、わからない。

ま、でも、こうやって、あれこれ詮索して無駄に時間をつぶすのも、街の楽しみだろう。その楽しみを提供している建物でした。ってことです。

それにしても、JAさいたま本店は、東大宮では、最も凝ったデザインと言えそう。なんだか、カネがありそう。JAさいたまは、2000年4月に現在のさいたま市のうちの岩槻区を除く地域の農協が合併して発足したらしい。この建物の完成がいつかは、わからない。こういうデザインの建物を見ると、すぐバブル期のものかと思ってしまう悪癖を、おれは持っている。

JAさいたま東大宮野菜直売所で考える。

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田園都市線なんていう名前が残っているぐらい、「田園都市」が憧れだった時代があった。といっても、そういう憧れは、ある程度余裕のあるクラスのことだったと思う。「自然」「天然」憧れは、昔も今も、都市ゆとり生活者のもの。

その人たちを相手に、不動産商売が、「田園都市」を売り込んだというのが実態ではなかったか。買うほうも売るほうも、田園都市の文化的価値ではなく、先進流行生活の優越感、資産価値だったに違いない。「田園調布」といった名前をつけた街に、その名残りが見られる。そこへ行ったところで、ブルジョワしている感じの屋敷はあっても、田園なんかありゃしない。

「田園都市」という限りは、そこに田園が必要だったはずだ。田園といえば、手入れのゆき届いた田畑や林が必須だろう。だけど、田園都市沿線を見ればわかる通り、アワレ、そんなもん、ゼニの前には価値がない。

先日読んだ、『オオカミの護符』によれば、著者の小倉恵美子さんが生まれ育った、田園都市線沿線の宮前区土橋は、1960年代は百姓50戸ほどの集落だったのが、いまでは7000世帯をこえる街になってしまった。田園は壊滅状態といっても、過言ではない。

東大宮も似たようなものかも知れないが、東京西郊と、東京の東北では、違うのだ。だいたい、「郊外」というと、西になっちゃう東京だもの。たぶん、そういう幸か不幸かで、東大宮には、まだ田園が残っている。「田園」といえる風景かどうかはともかく、田畑がある。

いま、「農業」や「地産地消」のブームもあって、千葉の柏や、東京の多摩方面でも、農業が見直され、いわゆる「都市近郊農業」が、以前よりは注目をあびているようだ。

場所にもよるだろうが、農業が近くにあって、農業にふれながら新鮮な野菜が食べられるといったことも、場所や土地の価値になりつつあるようだ。なんといっても、生産者と消費者が直接顔を合わせられる関係が、食べ物の安全や安心にとって、かけがえのない価値になりつつある。

おれも仕事柄、以前から都市近郊農業に関心があって、東大宮のばあいは、どんなぐあいなのか気になってはいる。だけど、とくに何かしようというわけではない。できる手がかりもない。なにしろ、浦和からこちらに引っ越して4年で、まだ様子もよくわからない。農業や農業がらみのことは、あるていどの手間や時間がかかるから、はやりものに飛びつくように始めて、放り出すようなことであってはいけないし。ま、じっくりと、根気のいる畑仕事をやるつもりで。

さしあたり、このブログで、農業に関心を向けて見ようか。ということで、東口にあるJAさいたま東大宮野菜直売所なのだ。じつは、まだ開いているところを見たことがない。火・木・土の午後1時30分から5時30分までのようなので、いつもちょうど違う日時だったのかも知れない。こんど、開いている日時をめがけて、行ってみよう。

ウチは西口なので、少し歩く。去年の11月、第二産業道路の宇都宮線に架かる陸橋をこえて、ふらふら散歩しながら行った。ドイトのところで曲がって、近くのぶどう畑の実りのあとを撮影し(上の画像)、西友のそばの藪の一角に、それはあった。駅から5分とかからない場所に、この藪は、なんなのか、ゆるい景色で不思議面白い存在だ。その藪に押しつぶされそうにある、直売所は、どういうものなのか、いずれ確かめてみたい。

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どうにかなるのか街路樹の未来。

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上の画像、東大宮駅東口のロータリーだ。2010年3月の撮影で、このあとがないから、これが「最新」になる。あらためて振りかえると、この広場に面した店は、わずか3年ほどのあいだに、いろいろ変化があった。だけど、今日は、そのことではない。

先日、この正面の道を行って、東大宮駅入口の信号を渡ると、なんだか景色がおかしかった。なんだかヘンな感じがしたのだ。なんだろうと思って見回した。すると街路樹が、なんだかヘンなのである。最初は、自分が立っている側の街路樹を見て、これは、こういうズングリのものなのだろうかと思った。だけど、反対側のそれを見て、事態は、はっきりした。

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上に電線があるから、これ以上伸びては困るという人間側の事情があって、伸ばされずにいるらしいのだ。それにしても、上の電線は、それほど高い位置ではないので、妙にズングリな格好にされていて、なんだか可愛そうであった。伸びられない、枝もはれない、手足をもぎとられた人間のようだ。

見方を変えれば、いかにも「開発途上」の街にも、見える。街も、この街路樹も、これからどうなるのだろう。どちらも、のびのびと伸びてほしいなあ、と思ったのでした。

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薫風のなか市民の森へ その3

昨日の続き。二人は、市民の森からの帰り道、見沼たんぼのなかの芝川沿いを歩いた。

タマネギ畑があった。スーパーにも、新タマネギが並んでいるが、最初は九州方面から始まり、いまでは関東のものが多くなっている。この新タマネギも、まもなく収穫されるだろう。見るからに、うまそうだ。

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貸し農園になっている畑も多い。細かく仕切られ、それぞれが勝手なものを植えている。そして、それぞれが道具や肥料などを入れておく、小さな倉庫ともいえない、ありあわせの板などで囲ったものをコーナーに作ってある。畝が揃っている大きな畑と違い、雑然とした景色、まさにとりとめのない光景だ。一角で、初老と見える男女がクワを持って立ち話しをしていた。

芝川沿いの道は簡単に舗装してあるが、ほかにもタテヨコに舗装のない道がある。そこを歩いたほうが、畑のなかを歩いている気分になるから、そちらを選ぶ。初めて歩く道だった。

すると、「東大宮自治会 第2農園」の看板があった。貸し農園とわかるが、自治会が借り上げて、貸しているのだろうか。

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近年は「農業ブーム」といわれるが、就農する人は別として、たいがいは趣味として土仕事や手仕事を楽しむブームでもあるようだ。こちらは「農業」というより、「趣味の園芸」と言ったほうがよいかも知れない。趣味と生活では、同じ土地をいじり耕し、同じものを植えても、まったく違う。

男は、以前、畑を借りて、耕作をしたことがある。園芸会社の仕事で、種をベランダ園芸用に普及する仕事をしているうちに、自分でやりたくなり、畑に手を出した。貸し農園の小さな区画ではなく、大きな畑だった。そこまで行くのも面倒だったが、耕運機ではなく、クワで耕すのだから大変だった。それに、こまめに、見てやり、手を入れる必要がある。借りたうちの半分も使わないで終わった。それでも、小松菜、さやえんどう、大根、茄子、じゃがいも、そういったものを、のべ2シーズンぐらいはやったか。

近頃は、植えたあと収穫までのあいだは、貸し農園の持ち主や近所の農家の方が面倒を見てくれるシステムもあるようだ。こうなるともう、贅沢な趣味と言うしかない。なにしろ小さいながらも、使用人に管理させて、おいしいところだけを楽しむ「農園主」になってしまうのだから。

畑仕事は根気がいる、そのほんどは、育つ過程の観察と手入れだ。その根気をやってこそ畑仕事をしたことになる、と男は以前をふりかえった。

「東大宮自治会 第2農園」は、そんな贅沢はしてないようだった。何区画あるのだろう、全部は借り手がついていないように見えた。東大宮自治会は広い地域だ、ここに近いところ以外は、クルマでないと面倒なことだろう。

さらに脇の道を選ぶと、電柱があった。パイプの先に蛍光灯をつけただけの簡単なものだ。夜の景色を見たことはないが、この通りだけ灯かりがつくのだろうか。なんだか、よい風景だ。向こうに土呂中が見える。

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これは、なんだ、童話のような遊び。木にテラスを設え、上の段には、くたびれた布でハンモックのつもりだろう。面白い人がいるなあ。楽しんでますねえ。

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つまみとクーラーにビール入れて持ってきて、この上で一日すごすなんて、いいにちがいない。畑仕事など、ほっぽりだして。蚊取り線香もいるな。「仙人畑」の小さな看板が打ち付けてあった。仙人への憧れか、いいねえ。

女がしゃがんで、オオイヌフグリを根から抜いた。持ち帰って鉢に植えるつもりらしいが、野生の小さい花は無理だろう。

クルマが一台入ってきて、畑のそばで止まった。

麦畑があった。何の麦かわからない。小麦でないことは確かだ。背が高いから大麦だろうか。

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「東大宮自治会 第2農園」があったのだから「第1農園」もあるだろうと思っていたら、あった。住宅街に一番近い道路わき、ここなら近い人も多いだろう。全部埋まっているようだった。

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東大宮の駅が出来たのは、1960年代の終わりごろのことだ。現在の東大宮地域は、圧倒的に農地が広がっていた。

男は、自治会の班長をしたり公園掃除や防犯パトロールに参加したりして、自治会の役員には古くからの農家の人がいることを知っている。貸し農園もそうだろうが、新旧住民がまじわるのは、よいことだ。近くの農業も、できるだけ続いてほしい。本当は、とれたての野菜を欲しいときに簡単に手に入れられるとよいのだがと思う。

芝川にかかる砂橋がある、宇都宮線沿いの道路にもどった。

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女がドイトへ行きたいというので、第二産業道路沿いのドイトへ向かった。園芸用の土を買うのだと言うが、彼女は、休日に、ドイトをぶらぶらするのが趣味なのだ。男も、嫌いじゃない。ドイトは、近所の最高のレジャー施設だ。

男は、一年ほど前に、NHKラジオの朝の「すっぴん」にレギュラー出演していたことがある。生出演だ。そのとき、いつもドイトで買った作業着を来て、渋谷のスタジオへ行った。あるとき、オンエア時間外に、その作業着が話題になった。男は「ドイトで買った」と言った。藤井彩子アナウンサーもパーソナリティのダイヤモンド・ユカイさんも、とうぜん、ドイトを知っているものと思ったからだ。なにしろ男が若いころは、ドイトは、当時流行のドウ・イット・ユアセルフ店の走りで、有名だったのだ。ところが、二人とも、「なに、それ」「えっ、ホームセンター?」という調子だった。ドイトを知らないなんて、とんでもないと男は思った。そうそう、ダイヤモンド・ユカイさんは、東大宮の大砂土中の卒業で、しかも男の家の近くに実家があるのだった。彼が中学生のころは、まだドイトはなかったのだろう。

これにて、とりとめのない歩行「薫風のなか市民の森へ」全3回終わり。

薫風のなか市民の森へ その2 市民の森

昨日の続き。

少しおさらいをすると、見沼田んぼの真ん中を流れる芝川沿いに、土呂中の横の桜並木を南へ歩き、JAさいたま緑花木センターの横を通り、出たところは「神明橋通り」という。

神明橋通りは東西に走り、北側がJAさいたま緑花木センターで南側が市民の森になる。実際に、神明橋通りと市民の森の境は、白い柵と高い木で分けられ、柵には市民の森入口の表示もある。

こちらの入口は北側にあたり「裏門」、正面の「中央口」は南側にあって、JR宇都宮線土呂駅から、500m弱と近い。

ところで、地図を見ると、この北側は、市民の森に含まれない。その入口から入ると、整備された真っ直ぐの道があって、両側に畑がある。これは、地図によれば、「体験農場」だったり「市民農園」だったりする。シーズンには、たくさんの花をつけるバラの木の畑もある。普通に歩いていたら、柵と高い木に囲まれたなかだから、どう見ても市民の森だと思うだろう。

女と男も、何度目かのことだけど、市民の森を疑いもせず、真っ直ぐの道を歩いた。「今年のバラは、イマイチだなあ、だいたい木に元気がないね」男が言う。女はふにゃむにゃ言う。

畑の先には、芝生の広場がある。その先が一段と高くなって、途中に人工の噴水池がある階段だ。水はない。地図によれば、そこからが市民の森になる。

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そんなことは知らない二人は、ぶらぶら歩く。平日ということもあるが、人の姿がない。二人の前を行く老夫婦だけ。

噴水の階段を上がったところは、また広い円形の芝生になっている。周囲は桜の木だ。花が咲くころは、毎日昼間から人で一杯になるが、ここもパラッとしか人がいない。どこかの女が一人、ヨガのようなことをしていた。

男が「歩いたことがない方を歩こう」と西へ行く。温室のような建物があった。なかが透けて見える。そばには、何か作業用らしいものが、いろいろ置いてある。苗木などを育てる管理用の建物だろうか。一般人は入ってよいのかどうかわからないが、扉が開いていたから、入った。

なにやら、生育中と思われる植物が、雑然とあって、どう見ても展示しているとは思えない。奥へ歩くと、何人かが作業していたかお茶をのんでいたかのような痕跡があった。

ところが、そこを抜けて、隣の部屋に入ると、様子が変わった。南洋風の植物が、それなりに配置されていた。温室特有の、少し湿り気のある熱気が、口をふさぐ。ブーゲンビリアが咲いている。男には、それしかわからなかった。でも、それなりに南洋の雰囲気になっている。間違いなく、温室の展示場だ。

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つぎの部屋に入った二人は、「おっ」とか「わっ」とか、声をあげた。想像していなかった光景だった。サボテンだ。もともと何も期待せずに歩いていたのだから、思わぬ光景に興奮した。

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「いいじゃない」と女。男は、伊豆のサボテン公園ほど大きいのはないし、広くはないが、むしろこれぐらいのほうが、うんざりすることもないし、なんだか親しみが湧いてよいなと思った。二人は、そこを行ったりきたりしながら、写真を撮った。

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脇の通路から入ったものらしい。ちゃんと玄関があった。机の上に、入場者数を調べているので、見学者は書き込んでほしいといった趣旨の用紙があった。二人は、入場者が少ないと閉鎖されちゃうかも知れない、それは困る、ここへ来るのが楽しみになったから、無くなっては困ると言いながら、記入した。市内の者か市外からかと、人数を書くだけだから簡単だった。

だけど、外に出て、建物を見渡しても、ここが温室の展示場であることを示す看板も何もなかった。

とにかく、二人は、これで今日はいい遊びができたと、得した気分で、帰路についた。

円形の芝生を突っ切って、階段をおりようとして、リスの小屋に気がついた。前に入ったことがある、網に覆われたなかで、リスを放し飼いにしているのだ。女が説明を見て、「300匹いるんだって」。「そんなにいたかなあ、でも、もうリスは見なくてもよいな」男は、サッカーの大宮アルディージャのマスコットのリスと、ここのリスは関係あるのだろうかと考えながら、リスの像を写真に撮った。

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帰りは、また神明橋通りに出て、右へ。芝川に架かる橋を渡ってすぐ、芝川沿いの道に入った。何度も通った道だ。左側は芝川が流れる荒地で、その向こうに土呂中のおとぎの国の建物のような校舎が見える、右側は耕作されている畑と耕作されてない畑が広がる。

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ちゃんと耕して栽培中の畑があった。背後には東大宮の住宅街。そちらは少し高くなっているから、この畑のある見沼田んぼの昔は、芝川の河川敷だったのだろう。それで砂が多かったから「砂」の地名がついたのだろう。土呂中も緑花木センターも市民の森も、河川敷だったのかも知れない。

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男が、そんな風に昔を偲び思索しながら、畑と住宅街の風景を写真に撮っていると、女が言った。「こっちも撮ってよ、わたしは、この茫漠とした荒れた感じが好き」。女は反対側を指差していた。女のココロは、これか。開発か荒野か、男は女が言った方向にカメラを向けた。

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見沼たんぼは、歴史と地形、いろいろ変化に富んだ風景が見られるところだ。この日は、これから「仙人畑」など、ほかにも発見があった。それはまた次回に。

薫風のなか市民の森へ その1

 あたたかい冬の終わりのあと寒い春が続いて、トツゼン夏のような陽ざしが照りつけた。
 「最近は春と秋がない」と女が言った。
 男は、「そういえば、そうかな」と言った。
 陽ざしは夏のようだけど、ひんやりした風が吹いて、青葉の香りを運んでいた。「薫風」という言葉がピッタリな感じだが、辞書によれば、「南風」「温和な風」「かんばしい風」といった意味があるようだから、この日の、ややひんやりした風は、薫風ど真ん中ではないかも知れない。しかし、「かんばしい風」ではあった。
 ひんやりした風に、強い陽ざしで、肌はどう反応したらよいのか戸惑う、複雑な気象だった。
 半袖で、じっとしていると長袖をはおりたくなるが、動くとそれが邪魔になる。

 女が散歩に行こうと言うので、そうすることになった。
 どこへ行こうか。
 「見沼代用水に沿って蓮田方面か、見沼たんぼと市民の森か、それとも」と言って、男は黙った。駅の東側の氷川神社あたり、一人で一度歩いているが、通りすがりだったから、また行ってみたい。そのことを言おうと思ったが、あのあたりは住宅街だから、いま女が行きたがっている散歩と違うような気がして、黙った。
 女は、いつものように、はっきりとした意志を口にしないで、なんとなく蓮田まで歩く気はしない口ぶりと態度を漂わせた。

 どこへ行くか決まらないうちに玄関を出てから、決めなくては進めないのであり、とくに目的があるわけではないが、ふにゃふにゃしたとりとめのない会話の結果、見沼田んぼを通って、市民の森へ行くことになった。
 東大宮は、見沼田んぼの北限域になる。その一部、宇都宮線の西北側の大部分は、栄東中高や、JRの操車場などに姿を変えている。
 二人は、家から、その真ん中を流れる芝川の下流域に向かい、宇都宮線の踏み切りを東側へ渡り、線路沿いに南へ向かった。
 つまり登呂へ向かうと、建物はないし、田んぼはないが、畑と一部雑草の生える不耕作地と化した見沼田んぼが広がる。

 二人とも、見沼たんぼのなかと市民の森は何度か歩いている。今回は、男の意志により、これまで舗装の一般道だから敬遠していた、見沼たんぼの南側の道を行くことにした。
 芝川にかかる小さな橋を渡る。「渡る」という実感のない小さな橋だが、たしか「砂橋」という名前がついている。詳しくは知らないが、地名が「東大宮」に変わる前、このあたりは「砂」あるいは「砂村」だったはずだ。となると、たぶん、このどうってことない小さな橋の歴史は、かなり古いのかも知れない。

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 芝川の両岸は、シーズンになると菜の花で埋まるのだが、その残骸が残っていた。
 それでも、女がうれしそうに、「菜の花、菜の花」と言った。花には割と反応が早い。
 東大宮も、とくに特徴のある町ではないが、このあたりの景色もそうだ。田んぼでもない、緑地でもない、畑でもない、何か一つの目的に絞られていない、とりとめのなさが、魅力といえば魅力なのだ。
 ヌーボーとした景色とでもいうか、見ているほうもヌーボーとなる。
 まさに、とりとめない景色を見ながら、とりとめのない歩行だ。
 ヌーボーと歩く。
 鋭い観察など、必要なし。もとからゆるい脳みそが、さらにゆるむ歩行。

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 見沼たんぼの南端で、左にまがる。右側は、桜並木が、さいたま市立登呂中学校の広い敷地に沿ってある。広いグラウンド、校舎は、ところどころに緑の屋根を配した、そこはかとなくバブル時代を感じさせるデザイン。調べると、平成8年(1996)の開校だから、まだバブリーな気分が残っていた時代だ。
 とはいえ、これぐらいはバブリーというより、普通であるべきかも知れない。
 なにしろ、公立の小学校や中学校といったら、デザインといえるほどのものはない、ただの箱といった感じで、子どもたちが可愛そうなぐらい、ちっとも「愛」や「夢」などない。校舎を囲む、網の塀なども工事現場と同じようなものであることが多い。それでは、まるで家畜飼育場のようなものだ。そこへいくと、土呂中学校はマシだろう。

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 歩きながらの二人の会話も、とりとめのないものだった。「あ~」とか「う~」とかの類である。
 一般道路だが、クルマの通りは、ほとんどない。右側の土呂中の敷地が終わると、隣接するJAさいたま大宮緑花木センターになった。大きな敷地大きな木や小さな木、畑は花や花木なのだろうか。よくわからない。
 とくに美しく整理しようという意志がある景色ではない。やはり、とりとめないのだ。
そこを過ぎると、クルマが多い通りに出る。道路を渡ると、市民の森だ。高い木に囲まれている。
 この市民の森の向かって左側、東端を芝川が流れ、西端を見沼代用水が流れている。
 クルマの通りから入る、芝川の土手に沿って歩行とサイクリングの遊歩道があったはずで、たしかにあったのだが、「自転車および歩行者専用道路」の標識はあっても、とても入れそうにない、藪と化していた。以前は、もっときれいになっていたはずだが。
 二人は、そこでも、「あ~」とか「う~」とか言うだけだった。

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 男が、西端の見沼代用水側を見たことがないというので、二人は通りを、そちらへ向かった。
 左側は、市民の森の高い木が続いている。木の間から、そこにある市民農園が見える。貸し農園らしい。耕運機の使い方のような講習をしていたこともあった。
 西端の見沼代用水に着いて見ると、ただコンクリートに囲まれた用水の中を、タップリの水が勢いよく流れているだけだった。用水だから当然といえば当然だが、男は、もっと別の、情緒ある遊歩道のようなものを期待していた。
 「なんだ。これじゃ、散歩にならないな、市民の森に行こう」と男は言い、二人は、回れ右して、来た歩道をもどった。右側に市民の森の高い木を、左側にJAさいたま大宮緑花木センターのとりとめのない緑を見ながら、市民の森の入口に向かった。

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今日は、ここまで。次回の市民の森へ続く。
最後の画像は、市民の森入口から、緑花木センターの方を見たところ。
今日は、初めて、このブログの申し込みから設定や作成をしたので、くたびれた。
まだ、ほとんど使い方がわかっていない。なんとか続くか?

はじめに

ブログ「ザ大衆食つまみぐい」に、東大宮周辺のことを書いて、カテゴリーの
「見沼区・宇都宮線・東大宮(散歩)」
http://enmeshi.way-nifty.com/meshi/cat21155617/index.html
にまとめていたのだけど、わけたほうがやりやすいので、独立させた。

とりとめのない生き方をしてきたし、東大宮のとりとめのなさ加減も好きだし、
おれのココロは「とりとめのない歩行」なのだ。