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世界文化遺産登録の富士山。

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富士山が世界文化遺産ということになった。自然遺産になれなかったのは、ひとえに、地元の富士山への愛情が欠けていて、無残な姿になっていたからだろうか。そして、その文化遺産的価値は、地元以外のところにこそあったのではないか。地元にあっては、富士山は経済であり産業であった。とまではいわないが、富士山の文化的価値を価値たらしめてきたのは、地元以外の人たちの思いを抜きには語れないことを忘れているかのような、地元の欲の皮が突っ張ったバカ騒ぎを見ていると、こんなことを言ってみたくなるわけだ。

文化的な価値となれば、地元以外のところから見る、その遠景こそが、人々のこころに何かを残してきたといえる。江戸はもとより、関東各所の「生活景」として、文化的価値が高く、銭湯の絵や「富士見」という地名をあちこちに残してきた。だから、富士山が世界文化遺産になったということは、富士山の見える暮らしが、文化遺産になったということであり、かりに富士山が自然遺産になれないほど無残な姿になっていても、その遠景は変わらず、それぞれの生活の中に生き続けてきた。

東大宮から見える富士山の生活景も、その一つなのだ。ということを、文化遺産による経済効果ばかりを計算している人たちには、考えがおよばないのだろうなあ。

おれは、一銭も儲からなくても、東大宮からときたま見られる富士山は、この生活景は、まさに文化遺産だと思っている。世界文化遺産に登録されようがされまいが。

1962年に上京してから、生活景としての富士山が見られるところに暮らすのは初めてだと気がついた。おれが上京したころには、すでに都心の大部分の場所からは、その景色はなくなっていた。おれにとっては、ときたま高いビルや郊外を走る電車のなかから見える富士山は幻のように瞬間的なものであり、富士山は「観光景」「行楽景」のなかに存在した。

だけど、そういった東京のコンニチの表層をペッとはがせば、その下には富士山を日常的な生活景として見る、東京だか江戸だか武蔵だかという場所があった。

東京都区内についていえば、ごく最近まで唯一富士山が見える地形として残っていた、西日暮里の富士見坂からの富士山の眺めも、あいだに建つ高層マンションによってさえぎられることになった。これこそ、なんでも経済効果でしか考えられない脳みそによる、文化遺産の破壊だろう。それとおなじ脳みそが、世界文化遺産登録を、文化的な価値ではなく、経済効果でだけ考えるのだ、って、繰り返しシクコク言ってみたりして。

その脳みその裏を返すと、高尚な文芸や美術や音楽や、それらを印刷した本などにしか文化的価値を見ないということになる。かくて、富士山の生活景は失われてきた。

富士山を日常の生活の中の景色として共有していた人びとと、そうではないコンニチの人たちと、たぶん、ほかのものについても「共有」や「共に生きる生活」の感覚がちがうのではないだろうか、それはつまり文化のちがいだろう。と、ここで富士山を見ながら思う。たとえば、いま銭湯につかりながら富士山の絵を見るひとには、共に富士山を見て暮らす場所に生きているという感覚はないだろう。だけど、むかしのひとには、あったにちがいない。

そんなことを考えた、今回の、富士山の世界文化遺産登録騒動だった。


で、冒頭の写真は、東大宮2丁目35−2にあるセイムス東大宮西口店の裏の通りから撮影した。今年の1月28日。ごくたまに、冬以外でも見られることはある。撮影がヘタなので、こんなアンバイだが、肉眼では、もっと鮮明に見えた。

下の写真は、やはり、同じ通りから、09年1月16日の撮影。
さらにその下は、JR東大宮操車場の北端の跨線橋の上から12年1月2日の撮影、おまけに同じ位置から見た操車場の夜景。

ほかにも、富士山が見える場所はあるし、もっとよく見える場所もあるのだが、たまたまデジカメを持っていて撮影できたのは、これだけ。

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