FC2ブログ

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

今年の初詣。

005_2018121913130266e.jpg

006_20181219131322197.jpg

011_201812191313385d2.jpg

028_20181219131353ce1.jpg

まもなく今年が終わり、また新しい今年が始まる。ややこしい。

今年の初詣は、1月2日に大宮からバスに乗って、かねてから行ってみたかった中山神社へ行った。

おれは、無宗教無信仰だが、民俗としての神様や神社に興味がある。

とくに中山神社のばあい、もともとは「中氷川神社」だったが、明治の後半に「中山神社」に改称されたようだ。

そして、中氷川神社は、氷川神社と氷川女体神社と一体の神社を形成していたのであり、中氷川神社は「氷川神社と氷川女体神社の直線上にあり、広大な見沼を挟んでちょうど中間に位置する。太陽は夏至に西北西の氷川神社に沈み、冬至には東南東の氷川女体神社から昇るという、稲作で重要な暦を正確に把握するための意図的な配置となっている」ということは、ウィキペディアにも書かれている。

大変、興味深い。

氷川神社は大宮駅から近いので何度も行っているし、氷川女体神社はバスを利用しなくてはならないが近くの見沼たんぼで知人が農園をやっているので、そこを訪ねるついでに何度か行っているし、今年の夏にも行った。

中山神社は、バスを利用してもチョイと遠い感じで、行くのが延び延びになっていたのだが、今年の初詣を口実に行った。

氷川神社と氷川女体神社に比べると、ちょっとさびれている感じがあるが、それだけにあまり着飾ることなく、土着の生活にとけこんでいる趣があるように見えた。とはいえ、周囲は新しい住宅が建ち、それが境内にまでせまり、「土着の生活」も心もとないのだが。鳥居も鳥居にあるしめ縄も、とても素朴な感じであった。

中山神社は氷川女体神社と同じ、崇神天皇2年(紀元前95年)創建と伝えられるが、新しい社殿の背後には「旧社殿」が囲いに保護されて残っている。

019_20181219131402588.jpg

いまここでは詳しい説明は省くが「この旧社殿は、簡素な板葺の「見世棚造り」が二間社となり、階段などを装飾して「流れ造り」に発展していく過渡期の建造物といえます。桃山期のものと考えられ、県内に現存する社殿でも古い型式に入り、市内では最古のものであり、建築学上大変貴重な資料です」との大宮市教育委員会の説明書きがあった。

とにかく、この氷川三社は、見沼に張り出した台地の端にあり、水に近く日当たりがよい地形にある。だいたいこういうところは大昔から人が住みつき暮らしを重ねている。その場所に蓄えられた人びとの願いに思いをはせてみるのもたのしい。そんな思いをめぐらすのも信仰の一つの在り方かもしれない。

大宮の氷川神社などは、立派すぎて神道ビジネス的で権威主義的で、そんな気はおきないが、原初がしのばれる中山神社や氷川女体神社では、神社をはさんで見知らぬ過去の人たちや未知のものとふれあう感じになる。そこから現代に生きる物語に引き継がれることもあるだろう。

下の写真は、この夏の氷川女体神社。中山神社とは社殿の造りの型式がちがう。昔から最も重要な祭りである「磐船祭」が行われたという池の中の島では、何の祭祀か、子供たちがリハーサルをさせられていた。そばには、鷺が一羽。

010_20181219131422876.jpg
013_201812191314378be.jpg
016_20181219131448ff2.jpg
015_20181219131500947.jpg
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。