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魚政の看板が好きだ。

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東大宮で最も好きな看板が、活きのよい「魚政」の看板だ。

魚屋がある街はいい街だ、と信じている。
それに八百屋と肉屋があれば、なおよいと思っている。
それが、ここにはある。
肉屋の看板は見えないが八百屋の向こう奥にあるのだ。

いまでは「魚屋」「八百屋」「肉屋」の「屋」は差別的表現であり、「鮮魚店」「青果店」「精肉店」としなくてはならないらしい。
だけど、それではかえって親しみに欠ける気もする。
あるいは、おれが子供の頃から「屋」に慣れ親しんできたからかもしれない。
差別意識はなかったのになあ。
それにどこの店も「屋」で呼ばれていた。
「金物屋」「雑貨屋」「菓子屋」「蕎麦屋」「畳屋」…街は個人経営の「屋」だらけだった。

とにかく、この魚政の看板の前に立つと、やっぱり「魚屋」のある街はいい、と思ってしまうね。
うちからは歩くと片道20分ぐらいかかるが、ときどき買いに行く。
魚政は賑わっていて、月曜休みの前日の日曜夕方になると値引きがあるから、遅く行くと売り切れ続出という状態だ。

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鯉のぼり。

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めったに見なくなったなあ。

「絶滅危惧風景」といったところか。

おれが子供の頃は、黒い真鯉と赤い緋鯉の二種しかなかった。

子供の数だけのぼりにするということもあったような記憶がある。

大きさもいろいろあって、貧富の差や権力や権威の差などを象徴するような面もあった。

「子供の日」は続いているのに少子化の社会になった。

そりゃそうjと、植栽が見事だ。東大宮は、けっこう植栽が楽しい。

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高台橋

昨日の出戸橋は見沼代用水東縁に掛かっている。宇都宮線の東側でもある。

そして西側の、第二産業道路が上尾市に入る少し手前で見沼代用水西縁を渡るところに掛かっているのが、高台橋だ。

この橋も、ほとんど橋としての存在感がない。というのも、このあたりでは西縁が暗渠になっているからでもある。橋の欄干らしいものはなく、普通の道路によくあるガードレールがついている。クルマだったら「橋」を意識することなく通り過ぎてしまうだろう。

でも、橋のたもとには「高台橋」と名前を刻んだプレートがある。

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見沼代用水西縁は、ここでは「西縁見沼代用水路」と表記されている。ひらがなで「にじぶちみぬまだいようすいろ」と別のプレートに刻まれている。

引っ越してしばらくは、地図に見る「西縁」「東縁」を「にしぶち」「ひがしぶち」と読むとは知らず、「さいえん」「とうえん」と読んでいたが、このプレートを見て「にしぶち」と読むのだと知った。

高台橋の上手の暗渠の上は立ち入ることができない草地になっているが、下手の暗渠の上は東大宮親水公園になっている。

ネットで調べると、このあたりは高台であるため用水を深く掘り下げる必要があったとのことだ。掘り下げた用水は、両岸が垂直に固められているうえ高く、危険だ。そこで暗渠にした。ということらしい。

だから、「高台橋」という名前も、うなずける。

「見沼区」の名前になっている「見沼」や「見沼代用水」や「見沼たんぼ」などについて調べるとなかなか面白い。

そもそも「見沼代用水」と「代」がついているのだから、もとの「見沼用水」があるはずだろうと思って、東大宮周辺の地図を見ても「見沼用水」の存在はわからない。それは、もっと下流の川口市のあたりに造られた「八丁堤」で川の流れをせき止めで出来た「 見沼溜井 」のことだった。

それまでの歴史も、利根川東遷などもあって、なかなか興味あるものだが、徳川吉宗の時代に「八丁堤」を解体し新たに「見沼代用水」を造る、その事情や工事も興味深い。

見沼たんぼってなに?
http://www.minumatanbo-saitama.jp/outline/minumadaiyousui.htm

見沼たんぼは「たんぼ」としての役割はほとんど終えているが、ここに支えられている新たな営みも加わり、複雑に続いている。だけど、いま、下流の東京を大洪水から守るためにも「見沼たんぼ」が存在するなんて、東京のどれぐらいの人が知っているのだろう。おれも、ここに引っ越してくるまでは、「見沼たんぼ」については、ほとんど知識がなかった。

東大宮は見沼たんぼの北限域のほとりで成り立ち、ま、いまだって、見沼たんぼをめぐる様々な営みのなかで暮らしているのだが、そのほんのわずかしか知らない。

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